小津の切り返しショット[2]:視線の先には誰もいない

小津安二郎 - Wikipediaより、以下引用

小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていない・・・イマジナリーラインを超えてはならないとされる「原則」に反していると指摘・・・小津は確信を持ってこの手法を取り入れていたため、少なくとも中期以降の作品においては、*切り返しショットがイマジナリーラインを超えて真正面から捉える手法の大原則が破られることはなかった。・・・

*中期以降の作品では「イマジナリーライン超えした真正面からのショット」という「小津手法」を貫いた…という意味か?

[パターン1]
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たとえば前記事『大学は出たけれど』のシーンや、『晩春』での有名なツーショット・シーンでも、並んで会話する二人を交互に一人づつ見せる時、カメラの位置がカット毎に切り替わる。役者は“ほとんど”カメラ目線だが、ほんの少しだけカメラから外している。なので、相手の方向を向いた時の「肩」の向きと「視線」そして「カメラ」の位置関係は下の図の通りになるはずだ。よくある“カウンターに並んだ人物のシーン”なども、このパターン。
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実際には、カメラの位置は相手の人物よりも遠くから撮っているように見え、カメラに向かった人物の「視線」の向こうには観客しかいないような“絵”だ。
この、二人(の視線)を結ぶ“想像上の線(ライン)”を想定線(イマジナリーライン)と呼ぶのだそうで、小津映画では、このラインを超える(またぐ)カットが多く存在するというのだ。イマジナリーラインは「視線(目線)」とは限らないが、あえて今回「視線(目線)」に絞って自分なりに検証してみた。

[パターン2]
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『東京物語』での、上京前の“空気枕”の会話シーン。さっきの『晩春』のシーンと似ているが、より“平面的”な構図にするためか、人物の腰から下に対して真横から撮った時に二人が重ならないように、前後にずらして座らせている。それなのに、会話する“切り返しカット”では、「視線」と「肩の角度」が反転させるとピッタリ合うくらい左右対称だ。下の3点『秋日和』での切り返しも同じ。二人は前後にずれて座っているが、切り返しカットを並べると“左右対称シンメトリー”だ。つまり、後ろに下がって座っている東山千栄子と司葉子の「視線」の先には“誰もいない”ことになる。あくまでも、カット毎の2次元的な“絵”にこだわった小津監督らしい画面だと思う。これらの切り返しカットでは二人を結ぶ「視線」はバラバラだ。(かろうじて、前方に座った笠智衆と原節子は、後方の相手を見てるか…?)
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前記事で「戦後作品では意外と正面ショット、もしくは顔だけが正面向きというショットが多いような気がする」と書いたが、たとえば『彼岸花』でのこのシーンはどうだろう。

[パターン3]
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ツーショットのカットでは向かい合った「視線」は1本だが、続く切り返しカットでは田中絹代が真正面を向き、“ほとんど”カメラ目線になり、突然「視線」がバラバラになったように感じる。
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↑この図は間違い。背景の障子や襖の格子をよく見てみると、やはり田中絹代は有馬稲子の方向を真っすぐ向いており、有馬も「肩」を田中に向けた姿勢だが、カメラは「視線」の少し左から撮っている。
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[パターン4]
次も同じく『彼岸花』からの浪花千栄子との会話シーン。ツーショットのカットでは、「肩の向き(姿勢)」も「視線」も真っすぐ向かい合っているが、切り返しカットで田中絹代の真正面カットで“ほとんど”カメラ目線になり、浪花は顔の向きはほどんど同じだが、「視線」を少しだけ右を向いている。
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上記(有馬と田中)とは違って、切り返しカットでの浪花千栄子の「視線」は田中絹代を真っすぐ見ていない。
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再び『彼岸花』の佐分利信とのシーン。

[パターン5]
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ツーショットのカットでは田中絹代の「肩」と「顔」の角度は真っすぐ佐分利信を向いた姿勢だが、切り返しのカットでは顔をかなり左に向けて真正面を向く。ツーショットでの姿勢とは変わり、“ほとんど”カメラを見つめる「視線」の先には“誰もいない”。
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カット毎の二次元的な“絵”にこだわり、三次元的な整合性は気に留めない小津の
「ツーショット」と「切り返しカット」における整合性パターン
[パターン1]:姿勢は変わらず、視線も合う。
[パターン2]:姿勢は変わらないが、視線と共にカメラがズれる。
[パターン3]:姿勢・視線ともに変わらないが、視線の片方からカメラがズレる。
[パターン4]:姿勢は変わらず、視線に合わせてカメラがズレる。
[パターン5]:姿勢が変わった結果、視線も外れる。視線の片方からカメラもズレる。
・・・等々、他にも色んなパターンがありそうだが、今回挙げた例では[パターン3]の“間違った図”のように人物の「位置関係」が変わる例はなかった。

イマジナリーライン(3):映画講座30
『Zで行こう!』イマジナリーラインは超えないのが基本
 >>原則を破った映像(動画に直リンクします)

※極端な例かも知れないが、向かい合った二人のイマジナリーラインを超えて、どちらも“左頬”側から撮ると… 不自然。。。
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『東京物語』の現在:デジタル小津安二郎
「私は一向に構わずАВを結ぶ線をまたいでクローズ・アップを撮る。すると、Аも左を向くし、Вも左を向く。だから、客席の上で視線が交るようなことにはならない。」
※小津自身の言葉だが、AもBも同じ方向を向くシーンなんてあったっけ?
 ↑4月22日の新記事に…
  >>小津の切り返しショット[3]:イマジナリーライン超え

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by quampaney | 2010-04-19 23:07 | 映画 / アニメ | Comments(0)