小津作品の照明:陰影による演出

松竹以外での小津作品の照明:前置きと『早春』という記事で「数本の戦後作品をチェックしてみたが、本当に“不自然な”照明の切り返しショットというのは、一本の作品中に“数回”程度の頻度でしか登場しない」と書いた。“数本”では正確な検証にならないので、まず戦後作品をチェックする事から始めた。

『長屋紳士録(1947年)』と『風の中の牝鶏(1948年)』には“不自然な”照明は見つからなかったが、『晩春(1949年)』では2ヶ所発見、『麦秋(1951年)』には少なくとも8ヶ所はあった。『お茶漬けの味(1952年)』はゼロ、『東京物語(1953年)』は3ヶ所ほど、『早春(1956年)』と『東京暮色(1957年)』には見当たらない。カラー時代、『彼岸花(1958年)』は6ヶ所、『お早よう(1959年)』では1ヶ所が怪しいが判断できず。『秋日和(1960年)』は微妙な照明が多く、自信はないが5〜6ヶ所か。遺作『秋刀魚の味(1962年)』では見つからなかった。松竹以外での作品については最近の記事にも書いた通り、東宝『宗方姉妹(1950年)』は7ヶ所、大映『浮草(1959年)』は、たぶん2ヶ所、東宝『小早川家の秋(1961年)』では3ヶ所ほど確認出来る。

戦後だけではどうも気になるので、戦前の作品も辿って調べてみるた。『父ありき(1942年)』では2ヶ所、『戸田家の兄妹(1941年)』3ヶ所。そして『淑女は何を忘れたか(1937年)』では5〜6ヶ所ほど見つけられる。戦前から戦後での“不思議な照明”の頻度に、意外なほど大きな変化はない。

キリがつかないが、サイレント時代はどうだったか。このあたりからの検証は少々“いい加減”になるが(笑)、『出来ごころ(1933年)』と『浮草物語(1934年)』では、それぞれ1ヶ所が微妙で判断が難しいところ。『東京の宿(1935年)』ではロケ・シーンも多いせいか見当たらず。ええい、ついでだとばかり、代表作『生れてはみたけれど(1932年)』をチェックしようとしたが、つい世界に入り込んでしまい(笑)見つけられず。同じ失敗を『長屋紳士録』でもやったが、その時は、もう一度冷静にチェックし直した。※追記参照

ひとまずの結論としては、“平面的な画”を期待し過ぎていたせいか、思ったほどは“平坦な照明”で撮られている印象はなかったという事です。
一旦、しばらくの間ですが調査中断します(+。+;)…。

※クリックで拡大(以下同)
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まだまだチェックしてない作品が多く残っているが、この“間違い探し”のような作業をしていて気付いたのが、小津独特の“イマジナリーライン越え”という禁則技は、『生れてはみたけれど(1932年)』など、かなり初期から始まっていたという事だ。つまり、字幕でしか会話が出来ないサイレント時代から、独特な切り返し手法を使っていた事になる。

このように、“三次元的に不自然・不思議な照明”は、思ったほど頻繁に登場しない一方で、自然な照明という以上に、明暗のコントラストが強く、意図的に陰影を生かしたシーンが登場する作品も意外と多い。それは、白黒の濃淡以外にも映像表現の選択肢が増えたカラー時代以降も変わらなかった。
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『早春(1956年/照明:加藤政雄)』について触れた記事では、この作品は小津映画としては例外的かも知れない、と書いたが、同じように『東京暮色(1957年/照明:青松明)』『風の中の牝鶏(1948年/照明:磯野春雄)』も明暗のコントラストが強いシーンが多く、リアルな照明の作品の代表といえる。いずれにも共通しているのが、不倫・売春・堕胎といった重いテーマが登場するという事で、そういった作品の「演出」としては当然考えられる手法だろう。

例えば『東京暮色』での、中絶手術から帰宅した里子(有馬)と、無邪気に遊ぶ(原)の子供のカットでは、連続したシーンなのに極端なくらい(あるいは不自然なほど)トーンに差がある。まるで違う世界だ。
※光が差している有馬の右手方向に子供がいる廊下がある。
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“陰影を生かした”照明の中でも、「逆光」を使ったカットが何度か登場するのも『東京暮色』の特徴の一つのように思う。顔に射す影の面積が多かったりコントラストが強いカットは多いが、自然光や移動によるものではない“演出としての逆光”、または顔の多くの部分が影になるカットは、他の監督作品と比べて少ない気がする。
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『東京暮色』『風の中の牝鶏』などのように、重いテーマの作品ばかりではなく、明るく陰影の少ないシーンが多い映画、例えば『お茶漬けの味(1952年/照明:高下逸男)』の場合、後半からは徐々に影の比重が増え、画面のコントラストも強まって行く。
また同じく、作品全体としてはそれほど暗い作品ではない『麦秋(1951年/照明:高下逸男)』にも陰影を生かしたシーンが要所要所に登場する。
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その中でも、陰影の扱いに強い意図を感じさせる一連のシーンが、謙吉(二本柳寛)が転勤を母(杉村春子)に告げる場面に登場する。
謙吉のアップと2ショットのカットを挟んで、実際に母は一歩も動いていないのに、部屋が暗くなり母に射す陰影が深くなっていく。(左→右)
※クリックで拡大(他の写真も同)
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これらは演出効果として違和感はないが、意外だったのは『東京物語(1953年/照明:高下逸男)』だ、深刻な場面や哀愁を伴うカットに限らず、ごく日常的な何気ないシーンも含め、映画全体が陰影の深いカットが多い。
※記事を書いた後で気づいて追稿したが『東京物語』『お茶漬けの味』『麦秋』
 の照明は3作品とも高下逸男。
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ただし、この『東京物語』については、オリジナルネガが現像所の火災により焼失したため、本来の映像は分らないが、現状では全体的にコントラストが不自然に強い。特に、周吉(笠智衆)が旧友と再会して酒を酌み交わす一連の場面と、妻とみ(東山千栄子)の葬儀後の食事のシーン(特に、全員でのショット)は、とても違和感がある。しかし、それを差し引いても、陰影を生かした照明が全編に渡って使われていたのは意外だった。

それにしても、いまだに、小津が“不自然な照明”を使った“理由(意図)”が謎のままだ。それは、三次元的な整合性を無視した、または、あえて整合性に反する“画”を創り上げるための“曖昧な照明”という“小津流の演出”の一つなのだろうか?
いや、もう一度『宗方姉妹(1950年)』の“整合性に反する画像”を貼ってみるが、このように“カットによってわざわざ切り替わる照明(光源の向き)”に、一体どんな意味と意図があるのだろうか…
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■関連記事
 >>小津映画の不思議なライティング(比較:成瀬巳喜男)
 >奇妙な照明によって、イマジナリーラインや視線のズレが相殺され
  不自然さを打ち消す事に一役買っているのでは?
 >イマジナリーラインのズレを意識させないような照明の当て方?

※追記(8月25日)
松竹での小津は、厚田カメラマンに照明を全面的に任せていたという原点に帰ると、『淑女は何を忘れたか(1937年)』あたりから“三次元的に不思議な照明”が登場するのは符号が合う。それまで撮影補助だった厚田雄春氏は、この作品から、正式に撮影担当になるからだ。さて、その前作であり小津のトーキー第一作『一人息子(1936年)』をチェックしなければ…

※追記(9月1日)
厚田雄春氏が撮影を担当する以前に“三次元的に不思議な照明”がなければ話が早かったのだが、どうもそんな単純な話ではないようだ。厚田氏が、この独特の照明を指示したという明確な根拠は今のところ見つからない。以下、作品毎の“不思議照明”の登場回数。

『一人息子(1936年)』4ヶ所
 撮影:杉本正次郎、照明(配光):中島利光
 撮影助手:厚田雄春

『母を恋はずや(1934年)』0ヶ所
 撮影:青木勇
 照明(配光)他のスタッフ不明
 ※他の作品と比べると絞りが浅い画面が多いように思える。

『朗かに歩め(1930年)』4ヶ所以上?
 撮影:茂原英雄、照明(配光):吉村辰巳
 撮影助手:厚田雄春 他
 ※『宗方姉妹』のように光源が反転するシーンもある

こういった感じでキリがないようにも思える。それとも撮影助手の立場でも“奇妙な照明”を指示または提案をしていたのか?

※9月22日:mixiのトッピック内で“ほぼ”結論付け。
>少なくとも、この不思議な照明については厚田氏任せではなく、
>きっと“文法にこだわらない”小津監督の指示なんだろう、と思い始めてます。
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by quampaney | 2010-08-21 22:00 | 映画 / アニメ | Comments(0)