『ライムライト』での小道具操作:監督C.チャップリン

映画を2次元の芸術と割り切った小津安二郎は、3次元的な整合性よりもカット毎にベストな画の繋がりで一連のシーンを組み立てようとした。その為には、照明装置や小道具の位置さえもカットが替わる度に検討し直され、必要とあれば移動させられた。目的と手段は違うかも知れないが、似たような“小道具の操作”が観られる映画がある。チャップリンの『ライムライト(1952年)』だ。

映画の舞台は生まれ故郷のロンドン。物語は第一次世界大戦が勃発した1914年の夏から始まる。またチャップリンが映画デビューした年でもあり、父チャールズ・シニアが生きていれば51歳となる頃。現実にはアルコールが原因の肝硬変で38歳という若さで死去した。母ハンナは極度の貧困のため精神を侵され入退院を繰り返した。
一方、『ライムライト』の主人公カルヴェロは年老いた舞台コメディアン。かつては喜劇の名優と呼ばれたが、最近は仕事もなく酒浸りの日々。ヒロインであるテリーは若いバレリーナだ。ガス自殺を図るがカルヴェロの救助により一命を取り留める。しかし精神的な原因により両脚がマヒしてしまう。ロンドンの大衆演劇界のスターだった父チャールズと母ハンナを思わせる人物設定だ。ただし映画の二人は大きな年齢差がある。この“歳の離れた”二人にとって「転機」となる2つの場面に、奇妙な“小道具の操作”が行われているのだ。

それらのシーンの前に、小道具の操作がされていない“通常(デフォルト)”の状態を見てみる。

※クリックで拡大(以下同)
b0183304_20455527.jpg
久々にミュージック・ホールの出演が決まり、日程の連絡を心待ちにしているカルヴェロ。リハビリ中のテリーは編み物をしたりカルヴェロに新聞記事を読み上げてやったり、不自由な脚を引き摺りながらもコーヒーを注いであげたりと、平穏な生活を送っている。壁に掛けられた肖像写真の位置は、左から『C(浮浪者に扮したカルヴェロのウェストショット)』、真ん中は『A(チャップリン本人の若き日の肖像)』、右手側は『D(浮浪者カルヴェロの全身像)』だ。暖炉の上にある置き時計は、最初『9時10分』を指し、会話を交わしているうちに『9時15分』となり(真ん中の画像)、カルヴェロが立ち上がると『9時17分』頃まで時間が進む。映像上では2分程の時間だが、自然な時間経過だろう。この直後、ミュージック・ホールの初日を知らせる電報が来る。カルヴェロはテリーに“オルソップさん(大家)”への電報だと誤摩化し、公演日の事は内緒にする。

小道具が置き換えられるという奇妙な操作は、まず次のシーンで見られる。この件については、1989年に出版された“故・江藤文夫(1928—2005)氏”の著作『チャップリンの仕事』に書かれていて知った。ただし、2点ほど“間違い”ではないかと思われる箇所があるので、以下で詳しく説明。

- - -
初日、独り舞台の演目中に客がほとんど帰ってしまう大失態を見せ、契約を打ち切られるという大きな「転機」。深夜に力なく家路に向かう時、時計台の針は『3時15分』。
(※10月18日追記:文字盤が、周りより微妙に明るく映像処理がされているようだ。)
b0183304_20464742.jpg
部屋に帰ったカルヴェロの様子が変だと気付き心配するテリーに、ミュージック・ホールの契約が打ち切られた事を告白する場面。

カルヴェロ「劇場が契約を打ち切った」
b0183304_20472357.jpg
まだ、暖炉の上には写真『A』が掛けられている。置き時計は『3時45分』。

「そんな事できないわ」「できる 打ち切った」
「1週間の契約よ 抗議できるわ」「ムダだ 私は終わりだ もうダメだ」
テーブルに伏せて泣き崩れるカルヴェロ。

「バカな事を(Nonsense!) カルヴェロが1回の舞台で旗を巻くの?・・・」というテリーのウエストショットを挟んで、カメラポジションが戻ると、壁の肖像写真は、突如『B(ノミのサーカスの扮装)』に入れ替わる。
b0183304_20475390.jpg
夢中になってカルヴェロを説得するテリーは、いつの間にか立ち上がり、マヒしていたはずの脚で歩いていた事に気付く。

テリーだけのショットになり「I'm Walking!」と歌うように叫ぶ。
壁の写真は元通り『A』に戻っている。
b0183304_2048242.jpg
時計の右手側に掛けられていた写真『D』は、ちょうどテリーの頭の真後ろに来るため、このカットでは画面の構成上の問題で外されていると思われる。

※『チャップリンの仕事』には、こう書かれている。
「カルヴェロの過去を語るこの写真群のなかに、若き日のチャップリンの横顔の肖像がまぎれ込んでいる。テリーの絶叫シーンで入れかわるのはこの写真だ。(略)彼がテリーに語りかける一ショットにおいて、カルヴェロはこの写真の前に立つ。(略)これだけ壁の写真を目立たせている作者が、テリーの“I'm Walking!”の絶叫シーンで、背後の写真を無意識に入れ替えるはずはない。」
また、立ち上がったテリーと絶叫するテリーの写真を並べたページでのキャプションには「“I'm Walking!”と絶叫する場面で,置時計の左側の写真が,その一瞬,替えられるのは,カルヴェロをチャップリン自身と重ね合わす操作のためか」とあるが正確には、絶叫シーンで“戻る”というのが正しい。

写真『B』は、いつもならカルヴェロの枕元に“CALVERO”の文字が印刷されたポスターと並んで掛けられている肖像だ。若き日の素顔から、誇りを感じさせるような表情の舞台姿への“差し替え”が意味するものは何だろう。
b0183304_2049313.jpg
置き時計の指す時間も、壁の写真と連動して入れ替わる。帰宅後からテリーの絶叫までの時間は、ずっと『3時45分』だが、テリーの口調が激しくなる場面では『3時30分』と時間が逆行する。(※『チャップリンの仕事』には3時40分と表記)テリーが顔色を変え、かつてカルヴェロに励まされたように彼を激しく説教する間だけ“小道具”と“時計の針”が変化する。

壁の写真と連動して入れ替わる事から、撮影時のミスとも考えられるかも知れない。しかし、多くの撮り直しで時間をかけるチャップリンが、時計の針を自然に任しておくとは考えられない。最初に紹介したシーンでは“自然に”時間が進行するように撮影・編集されているし、今回のシーンの前には時計台の『3時15分』が明示されている。“I'm Walking!”のシーン後、夜明けの道を二人で歩き、ベンチに腰掛ける時カルヴェロはユーモアを込めて“時間”を口にする。
「もうダメだ もう歩けないよ 5時になるんだ」

その他にも時間が明示されるシーンがいくつかある。
エージェントから電報を受け取ったカルヴェロが
「3時に会いに行く」と言う。
そして、待ちぼうけを食っている場面で、時計『4時10分過ぎ』を示している。
b0183304_20493839.jpg
役が与えられなかった人達を帰して、事務室に戻るとエージェントは尋ねる。
「誰がいる」「Miss Parker」「他に?」
「カルヴェロが3時から来てます」

- - -
次に小道具の操作が登場するのは、復帰したテリーが大成功を収めた翌日のシーン。そこまでの流れは…

脚が治ったテリーはエンパイア劇場に戻り、かつて恋心を抱いた若き作曲家ネヴィルと再会した。

※ちなみに、ここでも“時間”が語られる

ネヴィルの弾くピアノに合わせて即興で踊るテリー。
終わると、すぐさまテリーに近づき
「昼食にしよう 1時半に集合だ」「君はこの劇場の次のプリマ・・・」
「2時半に私の部屋に集まって契約しよう」「稽古が2時で」
「では6時だな」

彼の作曲した新作バレエに主演することになり、カルヴェロには道化の役が匿名で与えられた。バレエ『コロンビーヌの死』は大成功を収める。

新聞に載せられたテリーを絶賛した記事を、今度はカルヴェロがテリーに読んで聞かせる。テリーは、すぐにでもカルヴェロと結婚して“幸福”に暮らしたいと言う。このシーンでは置き時計を挟んで『A(若き日の肖像)』の右側には、今までとは替わり『C(カルヴェロのウェストショット)』が掛かっている。
カルヴェロ「年寄りにムダだよ」
b0183304_20501734.jpg
「私のために青春をムダにするのか」

振り向いて
b0183304_20505217.jpg
「私は出て行く・・・」

テリーのアップに切り替る「何を言ってるの・・・」

再びカメラポジションが戻ると額の写真は『D(全身像)』に替わる。
“ハッ!”と何かに気付いたように言う。
「どうしても出て行くしかない」
b0183304_20512747.jpg
突然、芝居がかったような激しい口調と身振りになり、窓辺に向かって歩き、ぐるっと向きを変え、再び暖炉の前に戻る。
「残された年月で真実(Truth)を掴みたい Truth! Truth!・・・」
b0183304_20515796.jpg
再び窓辺まで歩きながら「・・・それと少々の誇りが」

テリーのアップ
「あなたが行けば私は死ぬわ・・・」と懇願する。

再び振り向いて戻り、暖炉の前を横切ってソファに座る。
壁の写真は『C』に戻っている。
b0183304_20524738.jpg
「君が愛しているのはネヴィルだ・・・」

写真『D(全身像)』は、『B(ノミのサーカスの扮装)』と同じくカルヴェロの枕元にポスターを挟んだ反対側“にも”掛けられている。(つまり、いつも2ヶ所に掛けてある?) 映画では鮮明に映る場面はないが、スチル写真では、はっきりと見られる。
b0183304_21162494.jpg
成功したテリーと作曲家ネヴィルの登場という二つの大きな「転機」の後。まるで壁の写真の変化に反応するかのように、突然カルヴェロの心に沸き起こる感情。このシーンでは、時計の針には変化がなく、ずっと『9時20分頃』で固定されている。

- - -
肖像写真と時計が、この映画の中で“意味のある”存在だという事は、その後のシーンでも明らかだ。

稽古に向かうカルヴェロと劇場の前で帰りの“時間”を約束するテリー。
「6時までに帰るわ」
楽屋口に向かおうとすると背後から旧友の声がする。カルヴェロの代役候補として来たのだ。代役取りやめの連絡が間に合わずに起きたハプニングだったのだが、これでカルヴェロは「決心」をする。

置き時計は、6時をほんの少し過ぎた時間を指している。
b0183304_20535449.jpg
写真の額やポスターが全て剥がされ、壁紙には白く跡が残っている。
カメラが部屋中をパンしながら映し出し、ドアまでくると止りテリーが部屋に入る。部屋の様子が変わった事に愕然とし、置き手紙を見つける・・・。
b0183304_20555652.jpg
- - -
テリーから去ったカルヴェロは、流しの芸人となってロンドン中を廻っており、偶然ネヴィルと遭う。すでに軍に勤務していたが、ロンドンに来た時には必ずテリーに会っているという。そこでカルヴェロは“時”に関する名ゼリフを口する。

「時は偉大な作家だ 常に完全な結末を書く
 (Time is great author. It always writes the perfect ending.)」

肖像写真が入れ替わるシーンの画面構成は、ほとんどが肖像写真やポスター、そして置き時計が見えるように意図的にフレーミングされている。そう考えると、“置き時計”という設定も、肖像写真と並ぶような高さにするためのアイデアなのだろう。たとえ、時間が戻ったり写真が入れ替わったりする画面に観客が気付かなくても、“潜在意識”には「何かが変わったかも」と思わせる効果があるかも知れない。潜在意識といえば、テリーの脚のマヒの原因ついて担当医が「潜在意識が働いているのだろう」とカルヴェロに話すシーンもある。

考えてみれば、写真は“時を切り取ったもの”だ。シャッターを押した瞬間に時間が止まっている。一方、時計は常に“現在”を示す装置。上に挙げたシーンのうち最初の平穏なシーンでのみ、時計が時間通りに進行している。
肖像写真が入れ替わる1つ目。説教される立場だったテリーが、恩人のカルヴェロを強い口調で説得し始める瞬間に“時が一瞬戻り”、カルヴェロのスター時代と思われる肖像写真に入れ替わる。かつて栄光を掴んだ人間は、そこで時が止まってしまいがちだが「その栄光の時間を思い出すのよ」と訴えるテリーの気持ちを表しているのか。
もう1つの肖像写真が入れ替わるシーンでは、テリーの元を去るというカルヴェロの「閃き」(決心とまではいかない)が訪れる瞬間に“通常”の位置に戻る。
これは「自分が今この部屋に居ること自体が不自然に感じる」というカルヴェロの気持ちを表しているのか。そして、時が止まっているのは“張りつめた空気”を表現している…などと考えるのは少々こじつけ過ぎだろうか。

■主な関連記事
 チャップリン『街の灯』ラスト・シーンでの“発見”
 カール・ストラス(Karl F. Struss, 1886年~1981年)
 ロー・アングル ≠ ロー・ポジション
 小津安二郎とチャップリンの異色カット
 『彼岸花』『宗方姉妹』での小道具操作:小津安二郎
 ルビッチ『生きるべきか死ぬべきか』とチャップリン『独裁者』

b0183304_153942100.jpg『ライムライト(1952年)』
・監督/脚本/作曲/主演:チャールズ・チャップリン
・撮影:カール・ストラス(撮影顧問:ローランド・トザロー)
・出演:クレア・ブルーム,シドニー・チャップリン,バスター・キートン
[PR]
by quampaney | 2010-10-16 21:00 | 映画 / アニメ | Comments(4)
Commented by Chuck=Damian at 2010-10-16 21:11 x
恐れ入りました。 普通なら見過ごしてしまうようなところにまで 神経を集中しているんですね。

ローマの休日の 時計台の時間経過が 不自然なのは 知っていましたが ライムライトに関しては まったく気付きませんでした。
Commented by quampaney at 2010-10-16 21:42
Chuck=Damianさん、初めまして。
江藤文夫氏の本があったからこそなんですが、ずっと確信を持てないままでした。小津をチェックしたのをきっかけにブログに書こうと思ってから、ついこの前に初めて江藤氏の指摘以外のシーンにも気付いたのでした。
『ローマの休日』については全く知りませんでした。気になります(笑)さっそくチェックしてみなきゃ。ありがとうございました。
Commented by MEGU at 2010-10-17 14:57 x
すごいです。どれだけの集中力でご覧になっているのか。
撮影ミスではすまない、かなり意図的なことですよね。
小津監督の作意よりも、複雑な意図を感じます。
間違い探し的に、普通の観客では見過ごすところで、
何か自分の表現したいものを隠し込んだんでしょうか。
本当の思いと口に出すことが違ったり、
自信と不安感が背中合わせにあったり、
それらが刻々と入れ替わる人間の複雑な潜在意識が現れているようにも思えました。
Commented by quampaney at 2010-10-17 15:54
MEGUさん、初めまして。
『ライムライト』の小道具操作が本当に意図的なものだとしたら
前後の状況だけでなくストーリーや人物設定、時代背景など
様々な事が関係している可能性があって
自然と記事も長くなってしまいました(笑)
他の作品でも、こういった事が行われているのかも気になるところです。

>本当の思いと口に出すことが違ったり、
>自信と不安感が背中合わせにあったり、

これは、ありそうですね。
テリーの求婚も、カルヴェロの「出て行く」も
どこまで本心なのか、“まず言ってみよう”なのか謎が多いです。

コメントありがとうございました。