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1950年の『宗方姉妹』は、小津安二郎が初めて松竹以外で監督をした映画で『晩春(1949年)』に続く作品。撮影は、小原讓治。『阿片戦争(1943年)』という映画でも撮影を担当した他、田中絹代が主演する『恋の花咲く伊豆の踊子(1933年)』では美術を受け持っている。照明は、藤林甲(ふじばやし・こう)。『西鶴一代女(1952年)』『ビルマの竪琴(1956年)』『嵐を呼ぶ男(1957年)』などに関わっている。

結論から言うと、意外にも『宗方姉妹』での切り返しショットは、小津作品における“三次元的に不自然”な“不思議照明”の分かりやすいサンプルとも言える映画だった。しかもイマジナリーライン越えまくり。少なくとも“切り返しショットと照明”に関しては、典型的な小津調を大いに堪能できる作品と言える。
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特に目立つのは、『小津の切り返しショット[2]:視線の先には誰もいない』という記事で、“極端な例”として挙げたパターンが何度か登場する事だ。向かい合った二人が同じ方向を向く切り返しショットが何度も登場するのだ。
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しかも、向かい合っているはずの二人の人物なのに、画面上“同じ方向”から光が当たっている。つまり、片方の人物に対しては“実際の光源の逆”から照明が当てられているのだ。

また、この暗がりのバーのシーンでは、実際には光源のない方向から光が当たっているのがはっきり分かる。
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笠智衆とのシーンでは、田中絹代に当たる照明が、ツーショットの時とアップ(単独の全身ショット)の時では逆になっている。
※クリックで拡大(以下同)
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この三人のシーンでは、アップの笠智衆に当たる照明がだけ“逆”だ。笠と上原謙は、しっかりとイマジナリーラインを越えている。
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家の二階での山村聡との二度にわたる口論シーンでも、アップと引きのショットで、どちらのシーンも“逆(アップでは右から、全身ショットでは左から)”になっているのが面白い。しかも似た二つのシーンで二度とも“同じ法則”が適用されている。どういう意図があるのだろう。
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家具店での一連のシーンでも、左上の高峰秀子だけが右の額にハイライト(キーライト?)が当たっている。上原の単独ショットに合わせた“不思議照明”だろう。だが、左下の照明はちょっと“微妙”。高峰の額に当たる照明が彼女の“単独ショットと逆”…というのは(小津調の照明として)良しとしても、身体の影が両方向に出来ており、これまた不思議だ。右下のショットも高峰の背後にある影が、ハイライトと逆方法。数台の照明機材をカットに合わせて動かしたり明るさを調整(可能なのか?)しているのだろうけど、これについては、どうも明確な“法則(ルール)”が見えてこない。
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松竹での小津は、厚田カメラマンに照明を全面的に任せていたという。東宝作品『宗方姉妹』での“大胆なイマジナリーライン越え”と“三次元的に不自然な照明”は、東宝スタッフなりの“小津調の再現”なのだろう。独特な作風を強く意識するあまり、“小津ルール≒不思議な照明”のイメージが必要以上にデフォルメされたのかも知れない。“オリジナル”と“その解釈”という違いというべきか。
それとも小津監督として初のアウェイ現場という事で、監督自らが、いつもより細かく指示を与えた結果なのだろうか。他の松竹外作品、9年後の大映作品『浮草』と11年後の宝塚映画『小早川家の秋』では、これほど極端な“小津ルール”、つまり“不思議照明&イマジナリーライン越え”は登場しない。1950年時点の『宗方姉妹』に見られる“際立って突出した小津ルール”についての要因は、今の段階ではこれ以上は想像の域を越えない。
(続く…)
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b0183304_16444451.jpg『宗方姉妹(1950年)』
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『小津映画の不思議なライティング』という記事で、切り返しショットでは“照明も”切り替わる場面があるという事を書いた。イマジナリーライン超えのカットを調べるために“たまたま”選んだシーンについて、“三次元的に不自然=(≒)間違い”と言える照明なのではないか…と、mixiの「夜のおんな」さんからメッセージを頂いた。ただ、記事にも書いたように、そのうちの一つ『秋日和(1960年)』での切り返しショットは、シーンを通した流れの中で見ると、不自然さを感じない。影ではなくハイライトを中心に見れば、微妙ではあるが“三次元的にも同方向”からの照明と言える。しかし、比較として例を挙げた“成瀬作品での自然な照明”とは違って、小津映画では曖昧(あいまい)で“微妙”な照明がしばしば登場する。そして時に、“完全に不自然”な“整合性のない”照明が見られる。今回の記事を書くにあたって数本の戦後作品をチェックしてみたが、本当に“不自然な”照明の切り返しショットというのは、一本の作品中に“数回”程度の頻度でしか登場しない。(数回も登場する、と言った方がいいのか?)

※クリックで拡大(以下同)
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ただし、たとえば『早春(1956年/照明:加藤政雄)』という作品を例にとってみる。この映画を照明に注目してチェックしてみると、明け方や夕暮れに窓越しに陽が射し込むシーンや、暗めの室内にほとんど電球だけの少ない灯りなど、明暗のコントラストが強いシーンが多い。そういったリアルなライティングは、小津作品としては“特殊”というか“例外的”な作品なのかもしれない。
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そして、“三次元的に不自然”なショットというのは、ほとんど見られない。例えば、バーのシーンでもいつもより立体的なライティングだったりする。とはいえ実際のところ、“小津作品全体”での不自然な照明の頻度は、それなりに時間を掛けて調べないと正確な事は書けない。今後の課題と言う事にしてみる。
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例の記事で成瀬作品を例に出したのは、和室での切り返しシーンがあり、小津と似た部分もあって比較しやすいと考えたのだが、その後mixiのテネンバウムスさんから「カメラマンが違う松竹以外の小津作品での比較も面白いのでは」というメッセージを頂いた(^_^;)…そうなんです!しかし、まずは「小津vs他の監督」という対立軸で大枠を見せておいてから、その段階に行こうと考えていました。それと、ヴィム・ヴェンダース監督の『東京画(1985年)』いう映画でも、厚田カメラマンが「照明は(小津監督が)完全に任せてくれました」と語っており、では厚田氏が担当していない松竹以外での作品ではどんな照明になっているのか、とても気になっていて、調べなければと思っていたところです。

前置きが長くなり、1本の記事になってしまった(笑)
小津監督が松竹以外でメガホンをとった3作品、『宗方姉妹(1950年)』『浮草(1959年)』『小早川家の秋(1961年)』をチェックしてみたが、これまた色々と面白い発見があった・・・。
(続く…)
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 小津作品の照明:陰影による演出
 『宗方姉妹(東宝)』松竹以外での小津作品の照明-1
 『浮草(大映)』松竹以外での小津作品の照明-2
 『小早川家の秋(東宝)』松竹以外での小津作品の照明-3

b0183304_16485952.jpg『早春(1956年)』
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朝日新聞の縮刷版での記事掲載本数の変遷
※「チャップリン」で「見出し」&「キーワード」検索した結果
 (促音の“ッ”なしの「チャプリン」で検索しても同結果)

1932年 97本 チャップリン初訪日
1933年  7本
1934年 11本
1935年  6本
1936年 21本 再訪日
          『モダンタイムス』日本公開“前”
1937年   9本 ※支那事変(昭和12年)
1938年   6本 『モダンタイムス』日本公開
1939年   7本 ※ポーランド侵攻
          2月『独裁者』着手の記事「一問題起きること間違いない」
          5月『独裁者』製作中断のデマ?(実際は撮影期間中)
1940年  1本 『作品第6(独裁者)』漸く完成
1941年  9本 ※真珠湾攻撃(昭和16年)
          『独裁者』上映禁止、邦人秘書検挙
1942年  2本 「チャップリン米駐ソ大使に任命か」
1943年  0本
1944年  1本 「P・ゴダード昆明に入り慰問大会などに妖姿を現す」
1945年  2本 ※日本終戦(昭和20年)
          「チャップリン米上院にて追逐声明のていたらく」
1946年  0本
1947年  1本 『殺人狂時代』日本公開“前”
          「チャップリン、ハリウッドに愛想づかし」
         
1948年  0本
1949年  3本 (内2本はチャップリンを真似た
          日本のサンドイッチマン検挙の記事)
          「非米活動委員会のリストに」
1950年  1本 『ライムライト』予告
1951年  0本
1952年 13本 『殺人狂時代』日本公開
          『ライムライト』の海外での評判(日本公開“前”)
          「帰国問題」
1953年  7本 『ライムライト』日本公開
1954年  8本
1955年  0本
1956年  1本
1957年  5本
1958年  0本
1959年  3本 『ニューヨークの王様』日本公開
1960年  3本 『独裁者』日本初上映
1961年  6本 最後の訪日
1962年  4本
1963年  1本
1964年  0本 自伝発表
1965年  1本
1966年  8本 『自伝』日本で発刊、Jサドール『チャップリン』
1967年  1本 『伯爵夫人』公開
1968年  0本
1969年  0本
1970年  0本
1971年  1本 ドヌール勲章
1972年  7本 アカデミー賞受賞、ビバ!チャップリン
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以前、mixiの[夜のおんな]さんから『小津の切り返しショット[3]:イマジナリーライン超え』という記事に非公開コメントを頂いておりました。それは、掲載した切り返しショットの“照明の方向”についてのご指摘です。(ご本人の了解を得てHNを載せました)
指摘のショットでは向かい合った司葉子と原節子の“アゴの影(一番濃い影)”が同じ方向に出ています。もちろんセット内の撮影でもあり、ライティングは一方向だけとは限らないが、キーライトが同じ方向ではないか、という鋭い発見。つまり「対面座りの設定だと、この照明は“間違い”ということ」になります。しかし、額を中心とした顔の反射(ハイライト)は逆方向とも見えるので、通して観るとそれほど不自然には感じられない。
『秋日和(1960年)』
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では、他の切り返しショットはどうだろう。
『彼岸花(1958年)』での有馬稲子と田中絹代のカットでは、有馬を照らしているはずの左上からの灯りよりも右上からの照明(キーライト?)の方が強く、結果的に二人のアゴの影も顔の明るい部分も“同じ方向”だ。あり得ない。明らかに“三次元的に不自然=間違い”だといえる。
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同じく『彼岸花』から佐分利信とのツーショット。
田中のほぼ正面からのライトはツーショットのカットとの整合性があるが、佐分利の顔の明るい部分を見ると、部屋の灯りとは逆方向だ。
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カメラはイマジナリーラインを越え、対話する二人の視線は合わず、それに加えて照明も“ちぐはぐ/間違い”な不思議世界。しかも、1カット1カットがまるでスチル写真のようだ。
しかしよく考えてみると、異なった方向からのライティングをするためには、わざわざアングル毎に照明機材を移動させなければならず、あえて手間がかかる仕事にしている訳だ。
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私は映画の撮影現場について詳しくはないし、ただ画像を見ただけではキーライトおさえの方向を正確に言い当てる事は出来ませんが(^_^;)、ひょっとするとこの奇妙な照明によって、イマジナリーラインや視線のズレが相殺され、不自然さを打ち消す事に一役買っているのではと思う。(夜のおんなさん曰く「イマジナリーラインのズレを意識させないような照明の当て方」)写真や映像関係に詳しい方のご意見も伺いたいです。
極端な話、太陽光や部屋の灯りなど実際に想定される照明とは“別”に「小津の照明(神の光)」が存在して、役者や大道具・小道具が「小津(神)の意図」で回転舞台のように移動し続ける・・・。小津映画は、そんな不思議な世界のような気さえする。
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『東京暮色(1957年)』より

ドラマ中の現実世界ではあり得ない照明、イマジナリーラインの不自然さを相殺する小津映画の照明は、他の映画監督と比べて“平面的(フラット)”ではないだろうか。特に、一番上の『秋日和(1960年)』の切り返しショットのように“ちぐはぐ”な照明は、結果的にフラットとも言えそうだ。

たとえば、成瀬巳喜男の作品での「切り返し〜ツーショット」シーンはどうだろう。

『娘・妻・母(1960年)』
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『乱れ雲(1967年)』
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小津と比べると(たぶん)キーライトが強く陰影のコントラストが強い。しかし、極めて自然だ。たまたまそういったシーンを選んだ訳ではなく、どの作品も全体的にハイライトがはっきりしているようだ。背景にクッキリと人物の影が映るカットもある。よって、小津のような三次元での矛盾もない。ついでながら、人物の視線や身体の向きがほぼ固定された小津と違って、顔の向きや姿勢、目線も左右上下とよく動く。『めし(1951年)』『あに・いもうと(1953年)』あたりの作品でも同様だ。

キーライトとおさえ:映像制作裏ワザ入門
自分もしたなら相手も許す?知ったかぶり経験

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『小津の切り返しショット[2]』で、検証から漏れていた代表的なパターンがあった。正面で向き合って会話するパターンだ。たとえば『秋日和(1960年)』での“ゆで小豆”を食べるシーン。
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ツーショットでは、二人がズレて座っているようにも見えるが、手前のテーブルの模様から推測すると司葉子の左肩あたりの延長線上にカメラがあるようだ。二人とも俯いているので視線のラインは描いていない。
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切り返しでは、お互いの真正面からのショットを想定したとすると、いつものように目線が微妙に“同じ方向に”外れている。これこそ「AもBも同じ方向を向くシーン」だろう。そして、これが「切り返しショットがイマジナリーラインを超えて真正面から捉える手法の大原則が破られることはなかった(Wikiより)」という事?
二人の位置関係が真正面だとするとイマジナリーラインは2本あることになる。しかも、どちらのラインも“またいで”いるので、ダブルで「イマジナリーライン超え」をしていることになる。 そして、[パターン4]の「姿勢は変わらず、視線に合わせてカメラがズレる」に当たるかな?
…何だか自分の定義さえ分からなくなってきた (´・ω・`)
いや、そもそも「カット毎の2次元的な“絵”にこだわる」小津安二郎だ。「三次元的な辻褄」を見つけようとする事自体に無理があるのかも知れない。

ところで、“はっきりと”AもBも同じ方向を向くシーンは、前記事に貼った「小津のパロディCM」はズバリそのものでした…(^_^;)
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切り返しのカットではベッキーの身体の向きが変化。
カメラはイマジナリーラインの中で切り替わっています。
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( ゚д゚)・・・
こんなCM知らんかった


2008年2月には放送されていたとか…
それにしても良く出来てる。
小津のロー・ポジションは、こうでないと。

小津映画のロー・ポジションについては色々な説があるが、
 私は

「画面のメインに映る“ちゃぶ台やテーブルなどの天板”が水平になる」

 というのが基準だと思う。
だから、アパートなどで洋式のテーブルや勉強机が映る場面では
和室よりもカメラのポジションが高くなる。

この↓DVDのジャケット・デザイン↓が典型的な“小津調ロー・ポジション”。
素晴らしすぎるイラスト!
二次元という「絵」にすることで、より鮮明にシンプルに伝わる。
まるで小津映画の構図、その設計図のようだ。
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『The Only Son (一人息子)
 / There Was A Father(父ありき)』

※Region 1

mixiのテ●ン●ウ●スさん、情報ありがとうございました!

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小津安二郎 - Wikipediaより、以下引用

小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていない・・・イマジナリーラインを超えてはならないとされる「原則」に反していると指摘・・・小津は確信を持ってこの手法を取り入れていたため、少なくとも中期以降の作品においては、*切り返しショットがイマジナリーラインを超えて真正面から捉える手法の大原則が破られることはなかった。・・・

*中期以降の作品では「イマジナリーライン超えした真正面からのショット」という「小津手法」を貫いた…という意味か?

[パターン1]
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たとえば前記事『大学は出たけれど』のシーンや、『晩春』での有名なツーショット・シーンでも、並んで会話する二人を交互に一人づつ見せる時、カメラの位置がカット毎に切り替わる。役者は“ほとんど”カメラ目線だが、ほんの少しだけカメラから外している。なので、相手の方向を向いた時の「肩」の向きと「視線」そして「カメラ」の位置関係は下の図の通りになるはずだ。よくある“カウンターに並んだ人物のシーン”なども、このパターン。
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実際には、カメラの位置は相手の人物よりも遠くから撮っているように見え、カメラに向かった人物の「視線」の向こうには観客しかいないような“絵”だ。
この、二人(の視線)を結ぶ“想像上の線(ライン)”を想定線(イマジナリーライン)と呼ぶのだそうで、小津映画では、このラインを超える(またぐ)カットが多く存在するというのだ。イマジナリーラインは「視線(目線)」とは限らないが、あえて今回「視線(目線)」に絞って自分なりに検証してみた。

[パターン2]
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『東京物語』での、上京前の“空気枕”の会話シーン。さっきの『晩春』のシーンと似ているが、より“平面的”な構図にするためか、人物の腰から下に対して真横から撮った時に二人が重ならないように、前後にずらして座らせている。それなのに、会話する“切り返しカット”では、「視線」と「肩の角度」が反転させるとピッタリ合うくらい左右対称だ。下の3点『秋日和』での切り返しも同じ。二人は前後にずれて座っているが、切り返しカットを並べると“左右対称シンメトリー”だ。つまり、後ろに下がって座っている東山千栄子と司葉子の「視線」の先には“誰もいない”ことになる。あくまでも、カット毎の2次元的な“絵”にこだわった小津監督らしい画面だと思う。これらの切り返しカットでは二人を結ぶ「視線」はバラバラだ。(かろうじて、前方に座った笠智衆と原節子は、後方の相手を見てるか…?)
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前記事で「戦後作品では意外と正面ショット、もしくは顔だけが正面向きというショットが多いような気がする」と書いたが、たとえば『彼岸花』でのこのシーンはどうだろう。

[パターン3]
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ツーショットのカットでは向かい合った「視線」は1本だが、続く切り返しカットでは田中絹代が真正面を向き、“ほとんど”カメラ目線になり、突然「視線」がバラバラになったように感じる。
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↑この図は間違い。背景の障子や襖の格子をよく見てみると、やはり田中絹代は有馬稲子の方向を真っすぐ向いており、有馬も「肩」を田中に向けた姿勢だが、カメラは「視線」の少し左から撮っている。
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[パターン4]
次も同じく『彼岸花』からの浪花千栄子との会話シーン。ツーショットのカットでは、「肩の向き(姿勢)」も「視線」も真っすぐ向かい合っているが、切り返しカットで田中絹代の真正面カットで“ほとんど”カメラ目線になり、浪花は顔の向きはほどんど同じだが、「視線」を少しだけ右を向いている。
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上記(有馬と田中)とは違って、切り返しカットでの浪花千栄子の「視線」は田中絹代を真っすぐ見ていない。
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再び『彼岸花』の佐分利信とのシーン。

[パターン5]
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ツーショットのカットでは田中絹代の「肩」と「顔」の角度は真っすぐ佐分利信を向いた姿勢だが、切り返しのカットでは顔をかなり左に向けて真正面を向く。ツーショットでの姿勢とは変わり、“ほとんど”カメラを見つめる「視線」の先には“誰もいない”。
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カット毎の二次元的な“絵”にこだわり、三次元的な整合性は気に留めない小津の
「ツーショット」と「切り返しカット」における整合性パターン
[パターン1]:姿勢は変わらず、視線も合う。
[パターン2]:姿勢は変わらないが、視線と共にカメラがズれる。
[パターン3]:姿勢・視線ともに変わらないが、視線の片方からカメラがズレる。
[パターン4]:姿勢は変わらず、視線に合わせてカメラがズレる。
[パターン5]:姿勢が変わった結果、視線も外れる。視線の片方からカメラもズレる。
・・・等々、他にも色んなパターンがありそうだが、今回挙げた例では[パターン3]の“間違った図”のように人物の「位置関係」が変わる例はなかった。

イマジナリーライン(3):映画講座30
『Zで行こう!』イマジナリーラインは超えないのが基本
 >>原則を破った映像(動画に直リンクします)

※極端な例かも知れないが、向かい合った二人のイマジナリーラインを超えて、どちらも“左頬”側から撮ると… 不自然。。。
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『東京物語』の現在:デジタル小津安二郎
「私は一向に構わずАВを結ぶ線をまたいでクローズ・アップを撮る。すると、Аも左を向くし、Вも左を向く。だから、客席の上で視線が交るようなことにはならない。」
※小津自身の言葉だが、AもBも同じ方向を向くシーンなんてあったっけ?
 ↑4月22日の新記事に…
  >>小津の切り返しショット[3]:イマジナリーライン超え

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『大学は出たけれど(1929年)』で、一番「はっ」としたのは後年の小津には欠かせない「切り返しショット」が出て来た事。デジャヴュというと変だが、小津映画独特の違和感を感じて気が付いた。
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しかも徹夫(高田稔)のウエスト(バスト)ショットを挟んで
〝誰があんな所で働けと言った!〟
というセリフ(字幕)が続けて二度言われる。こういった、お馴染みの“繰り返される台詞”も、すでにここにあった。初期の作品はフィルムが現存しない作品が多く、『大学は出たけれど』まで9本が観る事が出来ない。この作品も本来の長さの数分の一しか残っていないので、このカットが小津作品での切り返しショットの“お初”とは言い切れないが、現存する作品の中では、ひょっとして“一番最初”なのでは?

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高田稔の罵声を受けて
〝働く者が一番仕合わせだと思っただけです。楽にもなるし〟
〝おっ母さんにも心配をおかけしまいと〟
と町子(田中絹代)の字幕が続いた後、いつの間にか寝転んでいる徹夫と、彼をなだめるように声をかける町子がいる。そして
〝おれがあんまり呑気すぎたんだ−−−〟
という字幕。すすり泣く町子。そして翌朝(というには暗い)の土砂降りのシーンへ・・・
わずかに残された“断片”ともいえるフィルムで編集されているので流れが不自然だし、どの程度の口論だったのかは想像しづらい。

“小津調”を確立した後の「切り返しショット」を並べてみる。

『東京物語(1953年)』
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『彼岸花(1958年)』
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『秋日和(1960年)』
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切り返しカットを探しながら思ったのだが、戦後作品では意外と正面ショット、もしくは顔だけが正面向きというショットが多いような気がする。それと典型的な切り返しショットは、割とアップに近くほとんどバスト・ショットと言えるカットが多い。それに対して『大学は出たけれど』ではカメラが引き気味で、ウエスト・ショットに近い。
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続く>>> 小津の切り返しショット[2]:視線の先には誰もいない
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小津安二郎の『大学は出たけれど(1929年)』は元々はおよそ70分の作品だったそうだが、残念な事にフィルムの紛失によって、現在はわずか11分程の断片で編集されたものしか観られない。
大不況まっ只中に大学を卒業して、就職が決まらないでいる徹夫(高田稔)の下宿に、婚約者の町子(田中絹代)が上京し尋ねて来る。〝お郷里(くに)からお客さまですよ〟という字幕の後に登場する当時十九歳の田中絹代の日本髪に思わず“のけぞった”。
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1929年(昭和4年)当時、普段から日本髪を結っている女性は多くはなかったはずだ。その後のシーンでの田中絹代の短い髪からも考えられるが、当時の芸者さん達がカツラを仕事用に着用していたように、登場シーンでの日本髪はカツラだろう。昭和初期の女性達は、“カツラで日本髪”というのが“和服でのよそ行き”用のヘアスタイルとして普通だったのだろうか。

この映画では、小津映画では珍しい“雨のシーン”がある。しかも、ちょうど30年後の作品『浮草』での有名なシーンのように“どしゃ降り”だ。しかし、中村鴈治郎と京マチ子が雨を隔てて罵り合っていたのとは逆に『大学は出たけれど』では、雨の中一つの傘の中で、プライドを捨てる決意をした男とそれを励ます妻(まだ婚約者?)という愛情溢れるシーンで、まったく対照的だ。この激しい雨は、サイレント映画であるにもかかわらず、とても音楽的な演出効果を生んでいると思う。
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そして就職が決まり仕事に向かう男を見送るシーンで、小津の好きな「電車」の登場だ。見送った妻が、振り返りざまに道路を駆けて行くラスト・シーンで終わるのだが、雨降りシーンとは対照的にカラっと晴れた空が広がっている。画面の上2/3以上が、お馴染みのつなぎシーン(インサート・カット)のように“青空”と“電柱”が見えるのが、また小津らしい。

※他と同じようにクリックで拡大
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※何度観ても分からないのは、橋の上から列車の男を見送った後で“何か”に反応して振り向き、なぜか電車が去った方向とは逆に向かって駆けて行くこと。いったい何に向かって走っていったのだろう?これはフィルムが足りないせいか、それとも私の理解力が足りないためか…。

※4月19日:追記
mixiの小津安二郎コミュの親切な方々が、この疑問を解いてくれました。
フィルムは失われていますが、シナリオが『小津安二郎全集』という本に収録されており、それによると
—徹夫が忘れた腕時計を渡すために駅に向かっている町子を、洋服屋が呼び止めた。急いでいたので家で待つように言い残す。徹夫を見送ったあと洋服屋のことを思い出したのか、急いで駆けて行った。—
ということでした。mixiコミュの方、ありがとうございました。

続く>>>『大学は出たけれど』-2:切り返しショット

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ここからは、割とどうでもいい話です(笑)
気弱な山本(斎藤達雄)の部屋に渡辺(結城一郎)が転がり込んで、ずうずうしくも机の上にあった缶を手に取って、美味しそうに中身を食べるシーンがある。
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缶の中のスープ状のものに付けて食べる“おやつ”って何だろうと思って、映像を止めて缶の文字を良く見ると「Asparagus」とも読める文字が。当時、アスパラの缶詰を“おやつ”に食べるのって普通だったのか。ヘルシーで良い“お菓子”だな。

b0183304_21125171.jpg仕送りのお金が来ない渡辺と、財布を落としてしまった山本。スキーに行く資金がなくなって落ち込んでいたが、渡辺が決心する。〝俺は偉いんだ〟〝上を向け 上を〟と云い、本やトロフィーを風呂敷に包んで〝俺は第七天國へ行くんだ〟と言って出掛ける。第七?あぁ、質屋(しちや=ひちや)ね(笑)壁には『Seventh Heaven』というタイトルの映画らしきポスターが貼ってある。この映画、フランク・ボーゼージ監督の『第七天国(1927年)』だそうで、坂本九の『上を向いて歩こう(永六輔作詞)』の元ネタの「下は向かずに、上を見るように」というセリフが有名らしい。渡辺の台詞(字幕)〝上を向け 上を〟は、この映画の引用だったんですね。それにしても〝俺は偉いんだ〟という言葉、今はこんな風に話さないよなぁ。
ヒロインの松井潤子(千鶯子)と母親役の飯田蝶子が、二人並ぶと結構似ていて本当の親子のようなだと思った。1897年生まれの飯田蝶子さんは当時32歳(!)。さすが老け役の名人。今なら娘を嫁に出すどころかアラサーで婚活中でもおかしくない。映画の中では50歳くらいの設定か。
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“若き日”の笠智衆さん。1904年生まれなので撮影当時25歳。こんなストレートな笑顔や、パイプをくわえて“ちょいと”気取ったポーズをとる笠さんは新鮮です。
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1929年『学生ロマンス 若き日』
この映画、「見合い」だけでなく、ちゃんと長~い「宴会」シーンもあります(笑)
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