カテゴリ:映画 / アニメ( 49 )

グダグダの人間関係を描かせたら天下一品の成瀬監督。この『稲妻』もグダグダ具合が心地良い。一般的には成瀬巳喜男の最高傑作と言われる『浮雲』(1955年)を最初に観て、成瀬作品に拒否反応を持っていたのだが、いつの間にか、この成瀬ワールドに馴染んでしまった自分がいる。
高峰秀子演じる主人公の言葉を借りれば「ずるずるべったり」な人達が織りなす世界を淡々と描いた『稲妻』。一番ドラマチックな出来事は、清子(高峰)の姉の旦那が亡くなる事くらいか。主人を亡くして号泣したり、お骨を大事に扱う様子を周りの人間は凄く冷ややかに見てる。登場人物の中では一番“まとも”な清子は、ずるずるでだらしない人間達が嫌になり勝手に引っ越してしまう。そこで出会った“まとも”な人達とも、ドラマチックな展開もないままに終わる。一番“まとも”な清子の元にダメダメな母が尋ねて来た時、お互いぶつけ合う言葉の何ともキツいこと。一生トラウマになるか、親子の縁が切れるかぐらいの言葉を浴びせ合ったのに「稲妻」をきっかけに何もなかったかのように元通り。
平穏な日常とトラブルが何気なくフェード・イン、フェード・アウトする、というこの作品を象徴するかのようなシーンが二つある。
まずは姉と龍三が会話している後ろで、ピンボケ状態で幼い子供を背負い、エキストラのようにウロウロしているのは、亡くなった姉の旦那の愛人。この後、姉がその事実を知るという展開になるのだが、この登場の仕方は寅さんの登場シーンとそっくり(笑)
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もう一つのシーンは、愛人の生活費の相談の帰りに姉妹で立ち話をしている後ろにピンボケ状態で背景に馴染んで映る愛人。この直後に気付く二人だが、何とも印象的なシーンだ。どちらも気まずい場面なのに、少し笑えてしまう。
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しかし、シュールだ。
しばらく成瀬作品は小津と並んで、良い酒の肴になるなぁ。
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途中からだったけど、BS2で小津の『浮草』を観た。
たぶん、小津作品の中では一番好きな作品。
何度観たか分らないけど、やっぱ良いなぁ…。
しかし、宮川一夫の特集で『雨月物語』と『浮草』って凄い選択だ。

それにしても、大映で撮ったメリットって何だろう。
宮川一夫で撮ったメリットって何だったんだろう。
たしかに役者の違いも含め、戦後の典型的小津カラー100%ではない所に
個人的には惹かれるというのもあるし
何というか、緊張感の比重なんかも他作品と比べて多い感じはするけど・・・

まとまらないので、日を改めて記事にし直します。
とりあえず、本日はメモ代わりの独り言でした。
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ようやく校了…。
フルで仕事してた訳じゃないけど、中途半端なお盆だ…。

昨夜テレビで初めて『火垂るの墓』を観たけど
これはキツかった〜(>_<)
反戦映画かと思ってたけど、ちょっと違ったな。
たしかに時代背景は終戦前後という特殊な状況ではあるけど。
アニメなのに、すごくリアルで生々しい描写。
エリック・ロメールの『獅子座』を思い出した。b0183304_16235248.jpg
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以前にも書いたけど、今年は、意識して昔の日本映画を何本か観た。その中でも溝口健二の『山椒大夫』と並んで気に入ったもう1つの作品が、成瀬巳喜男の『乱れる(1964年)』。この記事を書くために観直してみたのだけど、最初に観た時ほどの時のインパクトがなかった(´・ω・`)
この映画は、それまで思っていた成瀬監督のイメージ、つまり男女の関係を淡々としたタッチで描く、地味な印象というのを変えてくれた作品だったし、まったく予備知識ゼロで観たこともあって、かなり衝撃だったのだ。改めて観直して思ったのは、初回のインパクトの理由には、緻密な設定と脚本の力が大きいという事。

若き加山雄三が演じる酒屋の息子は、仕事もろくにせずにパチンコや徹夜マージャン、バーではケンカ…と、高峰秀子が演じる義姉さんに世話をかけっぱなし。そんな中、町の商店街にはスーパー・マーケットが進出して来る。商売が落ち込んで悩んだマージャン仲間の店主が自殺して…といった感じで、成瀬監督には珍しい「社会派ドラマ」なのかなと思っていた。
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当時40歳になる高峰秀子が演じる義姉は、加山雄三演じる幸司の兄嫁。ドラマの中でも実年齢と同じ設定だ。戦争で未亡人になり人生の疲れがはっきり現れている。義弟のかわりに真面目に店をやりくりしている地味で古風な女性。いつも着物姿。一回り以上も下の幸司の面倒を見ながら彼の将来を心配する姿は、姉というより母親という感じだ。
幸司の親族たちが、酒屋を会社組織のスーパー・マーケットにして生き残る計画を持ち上げる。幸司は、義姉さんを重役にと提案するが受け入れてもらえない。それどころか義姉には、とにかく再婚してもらって体裁よく追い出そうとする。義姉の見合い話もあったりと「仕事」や「家族」がテーマの軸であるかのように進行していく。
ところが、幸司に不良な彼女がいることが知られ、真っ当な人と結婚して真面目に仕事をやって欲しいと願う義姉と口論するあたりから一変。その後は、話のテンポがどんどん加速していき、ラストまで怒濤のように突き進んでいく。
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もう一度、インパクトとか想定外の展開なんてのを求めない状態で観直したら、ひょっとすると世界に浸れるかも知れないな。
しかし、この映画のタイトル凄いね。

脚本:松山善三
   http://ja.wikipedia.org/wiki/松山善三
   高峰秀子の旦那だったのか。

   『人間の條件』『恍惚の人』『人間の証明』
   『名もなく貧しく美しく』で監督デビュー
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先月、『日本映画全盛期』なんて仰々しいタイトルの記事に書いた“2009年に観たベスト2作品(2009年度作品のベストじゃないです(笑))”のうちの一つ、溝口健二『山椒大夫(1954年)』について書こうと思う。これは55年も前の作品で、同じ年に製作された映画には、ヒッチコックの『裏窓』や黒澤明『七人の侍』、第一作目の『ゴジラ』などがある。
さて『山椒大夫』だが、ストーリーだけを取り上げるなら単に悲しく残酷な昔話。それなのに、まるで身近に起きた現実のようにショックを受けた。あまりにも突然起きる予期しない別れや、納得できないまま襲いかかる絶体絶命の危機。特に、倒れ込む田中絹代の目の前に光る刀のシーンなんて臨場感あり過ぎて「やめてくれ〜!」と叫びたくなるほど。このシーンに限らず、ドラマティックな場面でも演出は淡々としているし、演技も大げさにならないよう抑えられている。それがかえって残酷さを浮き立たせ、どこまでもリアルなのだ。
ひたすら暗い内容なのに、観た印象は全く違う。どのシーンも映像が非情に綺麗なので、最後まで引き込まれ見飽きることはない。まるで当時の世界にタイムトラベルして撮影してきたかのような映像には本当に圧倒される。
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溝口健二は、基本的にロケかオープンセットの人だと思うんだが、特にこの作品の場合、どこまでがロケで、どこまでがオープン・セットで、どのシーンがスタジオなのか見分けがつかない程。DVDの特典音声で、宮川一夫はじめ当時のスタッフの方々がインタビューに答えて説明してるのだけど、それで初めて分る事が多く何度も唸ってしまう。わざわざ山の上に建設した大掛かりなセットもあれば、歴史的な建物での撮影もある。奇跡的に残っていた中世のままの風景を撮影したシーンもあれば、イメージ通りの“絵(画)”にするために多くの人夫を雇って手を加えた景色もある。溝口お得意の幻想的な森の中の池や外海の海岸線、(『雨月物語(1953年)』でも使われた)琵琶湖での場面も、悲しく残酷なシーンなのに息を飲むほど美しい。感心したのは、セットを建てた後、“汚し屋”と呼ばれる専門職の手で年季や生活感を出すための“味付け”をして最終的に仕上げるという事。こういった職人さんは今の映画界には存在しない職種なのだそうだ。
そしてそして、名カメラマン宮川一夫による撮影。逆光気味のシーンが多く、後方からの陽で顔の縁がクッキリと白く光り、画面に良い感じのコントラストを作っていたりする。また「こんな絵画のような場所が本当にあるのか…」と絶句しそうな“キラキラ光るススキのシーン”なんかは有名なんだろうな(これは天然の風景で、全く手を加えてないそうだ)。逆に、灯りは松明だけという夜のシーンなんかは、本当に照明を使わずに撮っているんじゃないかと思えるほどで、キューブリックの『バリー・リンドン』を思い起こす(もちろん実際には人工の照明も使っているそうだ)。他にも、山から街を見下ろす壮大な景色(今ではそういった風景は残ってない)とか、あまりにも神々しい入水シーンとか、ラストの海岸から小屋へ移る(小屋が映る)シーンとか…、美術の名画のようなシーンが“てんこ盛り・数珠つなぎ”状態の圧倒的傑作です。あの時代だから作れた、という事もあるんだろうけど、つまりは、もう絶対に作ることの出来ない映像作品だな。
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私は、ロードショーとかほんとんど行かないし
ヒット作・話題作とかほとんど関心ない。音楽の方でも一緒だけど。
だから、おおっぴらに「映画が好きです」とは言わないし、言えない。
「あの映画観ました?」と聞かれても、たいてい見てなかったりする。
最近(?)の映画で良かったと思ったのは
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズくらいか。
(おいらの“最近”って、いつだよw)

別に、昔の映画ばかりが好きな訳じゃないけど
今年は、意識してニッポンの映画作家を集中して観てみようと思い
クロサワはもちろんだけど、ナルセやミゾグチを集中的に観た。

何年も前に、溝口健二は『雨月物語』(1953年)は観ていて、
これは凄い…さすがニッポンのミゾグチ!と感動したのだが、
その一方の成瀬作品、最初に観た『浮雲』(1955年)は
彼の代表作と聞いていたいたのだけど
どうも登場人物のグダグダさとかが受け付けられず
成瀬作品って、自分には向いてないのかなぁ…と思っていた。

しかし今年、意識して彼らの他の作品をいくつか観た自分なりの結論。

昔の日本映画って、やっぱり凄い!
成瀬作品も面白い(笑)

とりあえず2009年に観た映画、個人的なベスト2作品は
溝口健二の『山椒大夫』(1954年)と
成瀬巳喜男の『乱れる』(1964年)です。

自分には合わないかもと思っていた成瀬を初めて
「凄いな」と思ったのは、小津タッチにすごく似た『めし』(1951年)。
小津好きな自分としては、ちょっと皮肉。
その後に観た、作風が少し違う『乱れる』は、ショックという一言。
本当に凄い強烈な作品だと思う。
何でも決めつけは駄目だなと思った。
だから、今はピンときてないルビッチ作品も、そのうち気に入るかも。

溝口健二は、先に書いた『雨月物語』(1953年)以外にも
『祇園囃子』
(1953年)などは以前から気に入ってはいた。
しかし、画質の悪さとかDVDに字幕が付いてない事もあって
残念ながら、熱狂的に好き…とまでは至らなかったのだが、
『山椒大夫』には、完璧に圧倒された。
機会があったら、これらの映画の記事を書いてみようと思ってます。
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第二次世界大戦中にアメリカで製作された反ナチ映画の2大傑作といわれる『独裁者』前の記事で書いた『生きるべきか死ぬべきか』を比較してみる。
まず時系列は以下の通り…

1938年3月13日 ドイツ、オーストリア併合
1939年1月1日 『独裁者』製作開始
1939年9月1日 ポーランド侵攻
1939年9月9日〜1940年10月2日 『独裁者』撮影
1940年10月2日 『独裁者』プレミア上映
1941年12月7日(現地時間) 真珠湾攻撃
1941年12月11日 ドイツ、イタリアがアメリカに宣戦布告
1942年○月○日 『生きるべきか死ぬべきか』製作開始
(アメリカが大戦に参戦する直前に作られ、参戦直後に公開という資料もあり)
>>『映画と暮らす、日々に暮らす。』
1945年4月30日 ヒトラー自殺
1945年5月7日 ドイツ無条件降伏

『生きるべきか死ぬべきか』が製作開始された時には『独裁者』はアメリカで既に公開済みであり、多少なりとも影響は受けているはずだ。前の記事にも書いたが、本物と偽物というキーワードが重要であることが共通している。『生きるべきか〜』は時代背景とか国名など実在の世界が舞台であるのに対して、『独裁者』は舞台も登場人物も実在世界のパロディ。(余談だが、チャップリン扮する床屋もサイレント時代の放浪紳士チャーリーのパロディといえるかも知れない。なぜならば、チャーリーのような容姿なのに、言葉は少なめながら声を発して話すし、白髪混じりだし、アメリカ人ではない。)ルビッチの演出する軽快なテンポと間、職人技によって洗練された『生きるべきか〜』に対し『独裁者』は力作ではあるけど、演出面では不器用な部分がある作品だと思う。異論もあるかと思うので、これについては、いずれ書いてみようと思います。『生きるべきか〜』は、洒落た会話とかストーリー自体が喜劇というソフトなコメディで、『独裁者』はシリアスなドラマとスラプスティック・コメディが交錯したというかミックスされた作品。特に第一次世界大戦のシーンは同時期の自身の映画そのままにコマ落としされた早い動きのサイレント・コメディになっている。『生きるべきか〜』はナチスが支配する世界が舞台だが、ナチ打倒というストーリーがメインではない。一方『独裁者』は舞台こそ現実世界そっくりの架空世界だが、ストレートな反ナチ映画。しかも最後には映画の登場人物がチャップリン本人に戻ってしまう。つまり「独裁者ヒンケルの扮装をした床屋」の扮装をしているチャールズ・チャップリン本人が、さながら選挙演説のようにカメラを見て喋る。ストレートな反ナチ映画どころか、監督本人が“素”になって乱入する前代未聞の映画。いや、この時点ですでに「映画」からも逸脱している。
時代背景と笑いのネタが近い作品だが、相違点の方が多いと改めて思った。
ちなみに『独裁者』についてよく言われるのが、製作中に脅迫が相次いだり、中にはヒトラーから直接脅されたという話もあるが、実際にはヒトラーは、側近と『独裁者』を観たことは事実だが、脅迫といった行動をとったという記録はないはず。ドイツとの開戦前にナチスを支持していた当時のアメリカの映画配給業者の一部が圧力をかけたとか、まだ緊迫感が少なかった参戦前のアメリカでは、政治色が強すぎて興行的に難しいということで資金繰りに苦労した、ということではないだろうか。

※ちなみに、最近まで“デタラメなドイツ語”といわれていた、この演説シーンだが
 実際は練りに練られた“ドイツ語と英語の変形ミックス”とも言えるハイパー・ネタだったのだ。
 詳しい解説と“翻訳”は、大野洋之氏の『チャップリン再入門』で読めます。
 長年、アドリブだと思っていたので非常なカルチャー・ショックでした。

※補足1(日本での初公開年)
 『生きるべきか死ぬべきか』1989年
 『独裁者』1960年
 
※補足2
 第二次世界大戦中にアメリカで製作された反ナチ映画は
 『独裁者』『生きるべきか死ぬべきか』の他に、
 フリッツ・ラング監督の『死刑執行人もまた死す』(1943年)があるそうです。
 こちらはコメディではないよいうです。

追記(2010年10月23日)
その他、アメリカ政府の依頼によるディズニーのプロパガンダ映画
『新しい精神』『総統の顔』(どちらも1943年公開)がある。

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エルンスト・ルビッチというドイツ出身の映画監督を知ったのは、小津安二郎の映画にハマってからだ。小津独特の映画スタイルを確立した戦後の小津も大好きだが、戦前の作品は様々なタッチと魅力があって、しかも駄作というのがほとんどない。『生まれてはみたけれど』(1932年)や『淑女は何を忘れたか』(1937年)などを観た時は、当時の日本のコメディってこんなに洗練されていてレベルが高かったのかと驚き、特に『淑女は何を忘れたか』は、独特の空気感とリアルで自然な演出には唸らされた。そして、この映画が“ルビッチ風コメディー”と呼ばれていることを知り、ルビッチ監督のことがずっと気になっていた。コメディではないが、同じく小津監督の『東京の女』(1933年)では、小津がエルンスト・シュワルツというペンネームを使っており、ルビッチへの傾倒ぶりが相当なものだと想像つく。
最近になってようやくルビッチの映画を観た。代表作といわれる『生きるべきか死ぬべきか』だ。ドイツの侵攻が始まったポーランドを舞台にしたコメディ。内容自体は直接ナチス批判をするようなストーリーではないが、ヒトラーが首を吊っている絵が出て来たりと、かなり痛烈な風刺がある。てっきり戦後の作品かと思ったら、1942年製作というから驚き。ルビッチは1919年に渡米しており、これはアメリカ映画です。どうも戦前から戦争初期のアメリカ国内でのナチの立ち位置というのが良く分らない。自分が歴史に疎いこともあるが、ネットで調べるとドイツ系アメリカ人協会という親ナチの団体があったことくらいしか分らない。しかもこの団体、1941年以降には指導部が逮捕された、とあるから少なくともアメリカの参戦(1941年)後は大半の人がナチスに批判的だったのだろう。ヒトラー存命中の反ナチ映画というとチャップリンの『独裁者』が有名だが、こちらは1940年公開。なんとも微妙な時期の作品。9.11直後のアメリカと、イラク攻撃後の世論みたいな違いがあったんだろうか。
そして、本題のルビッチ監督『生きるべきか死ぬべきか』だけど、実はどうもピンと来なかった。“いろいろな本物と偽物”が交錯するあたりは『独裁者』の影響をもろに受けてると思うし、脚本も緻密でよく練られた作品だとは思う。演出は基本リアルで、いかにもコント的な映画ではないノリで進行していく。そういう空気の中、要所要所で出てくる“わざとらしい”演技が気になってしょうがない。主役が「To Be or Not to Be」というセリフを言うシーンや、寝室でソビンスキー中尉を見つけて戸惑うシーンなど、普通のコメディなら充分あり得るのだけど、どうも自分的にはしっくりこない。風刺もストーリーも中途半端という気がするし、ラストのオチも予想通りのありふれた終わり方だった。この作品よりも古い小津映画が自分にはインパクトがあって、期待が大きすぎたのだろうか。ネットでの評価は、とても高いが、これは巨匠ルビッチ監督ということで、なんとなく気持ち的に水増しされてしまっているんじゃないだろうか。

※これはドイツ語の吹替え版ですな。

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ストーカーといっても・・・
今回のテーマは、タルコフスキーの映画『CTAЛKEP/ストーカー(1979年・ソ連)』です。この映画での「ストーカー」という単語は「案内人」みたいな意味で使われていると思うが、ロシア語のネット翻訳も試してみたが分らなかった。

ソ連のタルコフスキーの映画というと、難しいという印象があるかも知れないけど実は、この映画『ストーカー』は「ぼくらの秘密基地を探検しようぜ」みたいな活劇映画でもあるのだ。ある年代から上の人達ならば、この映画を観て子供時代の懐かしい遊びを思い出しワクワクするだろうし、頭を空っぽにして世界に浸ると心地よ〜くトリップ出来ますよ〜。

 これは『ストーカー』の印象的なシ−ンだけを再編集したYouTubeの秀作。
↓↓ほとんど登場人物が出てこないので、純粋に映像美に浸れます。↓↓


タルコフスキーの代表作としてまっ先に挙げられるのは『惑星ソラリス(1972年)』だけど、変な先入観を持たずにタルコフスキーを知りたいなら、最初は『ストーカー』の方がいいと思う。とはいう僕も最初に観たのは『惑星ソラリス』で、タルコフスキーはSFの人…と勝手に思い込んでいた。(まぁ『ストーカー』もSFといえばSFなんだが…)タルコフスキーの『惑星ソラリス』は、よくキューブリックの『2001年宇宙の旅(1968年!!)』と比較されるが、ずいぶん毛色が違う。キューブリックの『2001年』がツルツルに磨き上げられた完璧な球体だとしたら『ソラリス』は。匠の技によるデコボコした湯呑みのような作品だ。もっとも『2001年』の存在がなければ『ソラリス』も出来なかったかも知れないが…。

タルコフスキーの映画ではお馴染みの「水」「雨」「霧」「犬」などが、この『ストーカー』ではより“具体的なもの”として登場する点で、前作『鏡(1975年)』や後の作品『ノスタルジア(1983年)』と比べて分り易い要因の一つだろう。

この魅力的な映画『ストーカー』は、ストーリーとかテーマについては色々考えられるけど、じっくり何度も観直して少しづつ自分なりの理解をしていけばいいと思っている。主人公の「ストーカー」はただの天然バカなのか…、探検の参加した作家と科学者は、ゾーンに行った前後でどう変わったのか…、善意とは何なのか…、などなど・・・。

でも、それより圧倒的な映像自体を楽しむ方がずっと面白い。実際は汚いはずの廃墟や沼なんかが、映像ではすごく綺麗なのだ。汚水に入ったり、水辺に寝転んだりする役者さん達は大変だろうけど…。『鏡』と『ストーカー』『ノスタルジア』の3作は、そういう映像美の極みで、それらを観たあと、一般的に代表作と言われる『惑星ソラリス』を観ると、また違った印象があって、あぁ…タルコフスキーってこんな監督だったんだと思えるはずです。
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