「ほっ」と。キャンペーン

<   2009年 06月 ( 49 )   > この月の画像一覧

発作的にブログを初めて約45日。
訪問者人数が、ちょうど『1,000』になりました。
b0183304_123012.jpg

あ、ありがとうごいざいまーーーーす。

設定がよく分らない時期もあったので
自分のアクセスも入ってますが(笑)。
記念すべき数字なので、わざわざ記事にしてしまいました(^_^)

みなみなさん
これからもよろしくお願いします
[PR]
スクリッティ・ポリッティが全盛期の頃、ポップスもロックもドラムの音というと、キックとスネア中心のサウンドが主流で、もっと言うと“スネア命”みたいな時代だった。ハイハットやシンバルは“添え物”で、特にピーター・ガブリエルの『III』『IV』あたりではそれが特に顕著。

80年代のキング・クリムゾンでのビル・ブラッフォードのドラム・セットには、ハイハットがセットされておらず、かわりに左足にセットしたシモンズのバスドラの金属系の高音を使ってハイハットを踏んだ時の音を代用をしたり、ロート・タムやオクタバンでは、ハイハットのスティックでの“刻み”に代わる音を演奏していた。

※ブラッフォードの変態セットがたまらんです。

レヴィンが弾くチャップマン・スティックが凄まじいっす。
ブリューのギター・プレイもカッコ良すぎ。
手前に置いたエフェクターもいい!
フリップについては、いわずもがな。

自分にとっての“80年代の3大バンド”
アルバムを発表順に並べると、ピーター・ガブリエルの先見性がはっきり分る。

1980年 ピーター・ガブリエル『III』 *ゲート・リヴァーブの誕生
1981年 キング・クリムゾン『ディシプリン』
1982年 ピーター・ガブリエル『IV』
1982年 キング・クリムゾン『ビート』
1984年 キング・クリムゾン『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』
1985年 スクリッティ・ポリッティ『キューピッド&サイケ 85』
1986年 ピーター・ガブリエル『SO』
           *ハイハット復活(ステュワート・コープランド)
1988年 スクリッティ・ポリッティ『プロヴィジョン』

その当時の私は、ちょうど打ち込み系のバンドに参加してて、シンセ・パッドの音源を作るのも好きだった。スネアの音もスクリッティ・ポリッティのようなタイトな音を意識してした、ディケイが短くて堅〜い音を作り「scrittisnare」なんて名前を付けてた(^^;)。ピアノの“コーン!”というアタック音の一部を混ぜると、不思議と“それ風”になった。スネアの音“限定”(笑)でスクリッティ・ポリッティ以上に好きだったは、イエスの「リズム・オブ・ラヴ(1987年)」
※YouTubeでは分らないと思うけど、このスネアはいいなぁ〜。

…こ、こんなPVだったんだ(´д`;)
[PR]
1990年、マイルス・デイヴィスが来日するというので、仕事仲間と伊豆まで車で観に行った。マイルスを初めて生で観た野外公園でのライブはスクリッティ・ポリッティ(Scritti Politti)「パーフェクト・ウェイ」からスタートした。ラスト近くでマイルスがステージから引っ込み、バンドだけの演奏になったとたん、まるで解放されたみたいに生き生きとプレイしてたのが印象に残ってます(笑)。マイルスがステージを降りた後、バンドをリードしていったのが、キーボードのケイ赤城で、その勇士はまるでキース・エマーソンみたいだった。
…これがマイルス・バンドとしての最後の来日で、翌年9月28日にマイルスは亡くなってしまった。享年65。

※伊豆 ぐらんぱる公園でのラスト・マイルス(1990年9月23日)
b0183304_207977.jpg

スクリッティ・ポリッティ自体はポップ・バンドなのだが、『キューピッド&サイケ 85』『プロヴィジョン』の2枚に参加したドラマーのフレッド・マー(Fred Maher)は元々ニューヨークのアヴァンギャルド・シーンで活動してた人。今や超大物プロデューサーのビル・ラズウェルらと活動していて、マテリアルなどの他、何とカンタベリー・ミュージック界の重鎮フレッド・フリスとのトリオ、マサカー(MASSACRE)にも参加している。アルバム『Killing Time』では、スクリッティ・ポリッティとは程遠いアグレッシヴでスピーディなドラミングを聴かせてくれている。
またキーボードのデイヴィッド・ギャムソンはスクリッティ・ポリッティを脱退後は、マドンナやミシェル・ンデゲオチェロをプロデュースするなど活躍しているそうだ。

>>マイルス御大とスクリッティ・ポリッティのショット
[PR]
前の記事を書いていて、また疑問が。
スクリッティ・ポリッティ(Scritti Politti)の特集が載ってる『ミュージック・マガジン(2006 October)』には、「パーフェクト・ウェイ」のアナログ・シングル盤は第4弾シングルとあるが、自分が持ってる盤には“『キューピッド&サイケ 85』からファースト・シングル”と書いてある。ジャケット・デザインも、特集ページに載ってる「ザ・ワード・ガール」のデザインだ。
b0183304_23413335.jpg

晩年はマイケル・ジャクソンやシンディ・ローパーのカヴァーをするなど、ポップスに傾倒したマイルス・デイヴィスだったが、スクリッティ・ポリッティをカヴァーするきっかけは『TUTU(1986年)』の制作時に、プロデューサーから渡された参考音源だったそうだ。その中に入っていた「パーフェクト・ウェイ」を気に入り、バック・トラックをマーカス・ミラーに作らせた。しかもオリジナル(当時の欧米盤のヴァージョン)ほとんどそのままのアレンジで。そもそもマーカス自身『キューピッド&サイケ 85』に数曲参加していたという縁があったが、マーカスを通じたスクリッティ・ポリッティとマイルスとのつながりは曲のカヴァーだけにとどまらず、スクリッティ・ポリッティが次作『プロヴィジョン(1988年)』をマーカスを含めたメンバーで作っていたスタジオの数ブロック先のスタジオで、マーカスはマイルスともレコーディングをしていいて、彼らを気に入ってるマイルスがスタジオにちょくちょく顔を出すようになり、ついには御大本人も『プロヴィジョン』に参加することになったのだ。マイルスが参加した「オー・パティ」というバラード曲は、マイルスのトランペットのための曲といってもいいくらいの曲。マイルスが参加ということで、そのために作った曲なのかも知れない。(未調査です…)
『プロヴィジョン』『キューピッド&サイケ 85』を、ソリッドにして余分な音をそぎ落としたようなアルバムで、前作のバリエーション豊かな音色が“ある程度”統一された感じがする。特にスネアを始めドラム・セット(あえて、そう言います)の音色が前作ほど曲ごとの違いが少ない。何かの雑誌で読んだ記憶では、スネアのサンプリングをするだけの作業で何週間もかけたそうだ。
[PR]
スクリッティ・ポリッティ(Scritti Politti)を知ったのは、『キューピッド&サイケ 85(1985年)』が出たその年、邦楽ロックのバンドに一緒に加入したキーボーディストのお薦めだった。練習曲を録音してくれたテープに一緒に入っていて「これ、凄くいいから聴いてみて」と言われ、バンド練習曲をコピーするついでにカセットで繰り返し聴いた。彼とは学生時代から一緒にバンドを組んでいてプログレ好きという共通点があったのと、あの当時はJAPANなどのイギリス系のニュー・ウェイヴ(死語w)も好きなことは知っていた。しかし、このスクリッティ・ポリッティ、甘ったるいヴォーカルのせいもあって最初なかなかピンとこなかったが、いつの間にか「スモール・トーク」の万華鏡のような目くるめくシンセの絡みや「パーフェクト・ウェイ」のドライでタイトなサウンドが気に入っていた。
少し後になって「パーフェクト・ウェイ」がシングルで出ていたので買ってみた。聴いてみたら、どういうわけかリヴァーブが深い全くの別ヴァージョンで、気に入ってた曲のイメージと違ってガッカリ。(後になってマイルスの『TUTU』を聴いた時、このヴァージョンのカヴァーだと分った。)
数年して(レコード・ショップからアナログ盤が消えた頃)次のアルバム、マイルス御大が一曲参加した『プロヴィジョン(1988年)』と一緒に『キューピッド&サイケ 85』もCD(日本盤)で購入した。ところが、またまた聴いてみてガッカリ。一番のお目当てだった「パーフェクト・ウェイ」がリヴァーブが深いシングル・ヴァージョンだったのだ。
CD化で別ヴァージョンに差し替えられたのかと思って、中古レコード屋を回ってアナログ・アルバムを探した。輸入盤を見つけて帰って聴いたのだが、これも同じくリヴァーブが深いヴァージョン。訳が分からなかったのだが、まだその頃はネットもなく情報が少なかったので仕方なくあきらめていた。
三人組のスクリッティ・ポリッティから二人が脱退して“楽団ひとり”になり、シングルを2枚出したあと1999年に突然アルバム『アノミー&ボノミー』が出た。また「パーフェクト・ウェイ」の事を思い出して、今度は“輸入盤CD”の『キューピッド&サイケ 85』(米盤)も一緒に買ったのだが、これもリヴァーブ・ヴァージョン(´・ω・`)。困った時の2ちゃんねる。ドライなヴァージョンの「パーフェクト・ウェイ」を探してる…と質問をしてみたのだが、過疎スレなのに完全にスルーされた。
そして3年前の2006年、新アルバム『ホワイト・ブレッド・ブラック・ビア』がリリースされたのに合わせて雑誌『ミュージック・マガジン』にスクリッティ・ポリッティの特集が載っていたのを本屋で偶然見かけて即買い。アルバムも、もちろん買いました。帰って特集を読んでみてビックリ!長年の謎だった「パーフェクト・ウェイ」についても詳しく書いてあるではないか。

整理すると、リヴァーブが浅いタイトなヴァージョンは、アナログ時代は“日本盤”だけに収録されていた。それなのに、CD化された時には、どういうわけか“英国盤”だけに収録され、他の盤には収録されていないそうだ。それだから、今まで買った“輸入アナログ盤”も“日本盤アナログ・シングル”も“日本盤CD”も“米盤CD”も全部はずしてた訳だ('A`) 。
さっそく“英国盤CD”を探しに行き、見つけました買いました。20年振りの再会でした〜。

※残念ながら「パーフェクト・ウェイ」のPVは見つけられず。
 これは、よりタイトになったアルバム『プロヴィジョン』から。
 カッチカチのビーチ・ボーイズだな。
 (アタマがちょっと切れてるし、尻切れとんぼ…)


※日本語訳付きのインタビュー映像があったので貼っておく

[PR]
マイケル・ジャクソンの死因、いろいろ言われてるみたいですね。たとえば産経新聞などが過去の報道から「鼻を手術した際に抗生物質の効かないメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)に感染、菌が全身に広がっており、病院に通っていた」書く一方、ツアー絡みの訴訟などから「自殺臭い」と書くブログもある。
ヒット・チャートとか興味ない自分だけど、『スリラー』はレンタルしてカセットにコピーしてよく聞いてた。1曲目の「スタート・サムシング」でのバスドラの入れ方、当時としては斬新だったと思う。たしかマイケル自身のアイデアだったはずで、ドラマーじゃない人ならではの発想だ。ロックっぽい「Beat It」は、カラオケでたまに歌ってました(笑)。この曲、エディ・ヴァン・ヘイレンがリード・ギターを弾いて、スティーヴ・ルカサーがリズム・ギターを弾いてますね。M.ジャクソンの曲といえば、マイルス・デイヴィスが『ユア・アンダー・アレスト』の中で「ヒューマン・ネイチャー」をカヴァーしていて、ライブでもよく演奏してた。
※残念ながらケニー・ギャレットの熱いソロがこれから、という所でカット…
 4弦ギターのフォーリー、今どうしてるかな。

ジョンスコが抜けた後、急速にポップに移行していった時代のマイルス。スクリッティ・ポリッティやプリンスと並んで、マイケル・ジャクソンは晩年のマイルス・デイヴィスお気に入りのミュージシャンだった一人だ。
[PR]
5年振りの再結成をしたバンドで演奏する曲の一つ、ザ・タイマーズ『デイ・ドリーム・ビリーバー』の歌詞で聞き取れないところがあった。
♪僕は、デイ・ドリーム・ビリーバ@★※☆彼女はクイーン…♪のところ。
調べてみた。

♪デイ・ドリーム・ビリーバー そんで、彼女はクイーン…♪

・・・そんだけのことか(´・ω・`)
ちなみに原曲(ザ・モンキーズ)の歌詞は

Cheer up, Sleepy Jean.
Oh, what can it mean
To a daydream believer
And a homecoming queen?

「And a」=「そんで」

ところで、タイマーが大好きな過激なタイマーズが
どうしてこんなポップで可愛い曲を演ったんだろ。
メンバーも忌野清志郎にソックリな友人(笑)ゼリーが
ヴォーカルと訳詞を担当してるのに…。

[PR]
8月の夏祭に向けて、遂に5年振りに“あのバンド”が復活!
活動再開を祝って飲み会!…で、ついでに打ち合わせ (^^;) 違うか〜。。。
もはやメンバーみんなのライフワークともいえる長〜い活動歴を持つ老舗バンドなのだ。結成20周年ライブはいつだっけか?
学祭などで活動していたバンドに友人のキーボード奏者と一緒に加入したのが1985年で、その時はパーカッション担当。たしか1回きりの参加で、その後は、そのバンドから派生した打ち込みバンドの活動に移った。(このバンドについて書き出すと長くなるけど、当時としては最先端(`・ω・´)だったはず。)そして1991年、メンバーの結婚パーティで再結成、今度は無謀にもドラマーとして参加。人前でドラム・セットを叩いたのは、これが最初。それからは10年以上コンスタントに活動を続けたのだけど、社会人バンドだけに色々と事情があり一旦休止。
そして…実は3年前に復活祝いの飲み会があったのだ。しかし活動できず今に至ってました。その時に新しく加入したキーボーディスト君は、実に3年越しでのデビューです(^_^)/
う〜ん、私もドラムを叩くのは2年振り。ちょっと心配ではある…。
昨夜の飲み会は、当然のことながら盛り上がりました。●,000円で飲み放題食べ放題。ちょっと紹興酒を飲み過ぎたかな〜。みんなに迷惑かけてないといいけど…。
b0183304_20292367.jpg
[PR]
●1300年の歴史
 >鵜匠は岐阜市長良に6人、関市小瀬に3人おり、これらは全て世襲制である。
 >1人の鵜匠が一度に12羽もの鵜を操りながら漁を行う。
 >良川の鵜飼はその起源を1300年ほど前までさかのぼることができ…
 >獲れた鮎は皇居へ献上されるのみならず、明治神宮や伊勢神宮へも奉納…
 >>鵜飼_Wikipedia

●首を締められて漁をさせられるし、せっかく口にした鮎を食べられない。
 かわいそう。虐待じゃないのか…、と思う人もいるかも知れないが
 実際は、首の紐は、人の指1本分のゆとりをもって結んであって
 ノドの隙間から入ってくる小さな魚は食べられます。
 しかも、鵜匠によって一匹づつ体調管理されているので
 その日の体調によっては紐をゆるくして大きな魚も食べられる様にしたり
 漁を休ませたりしてるそうです。

●『うがい』の語源
 鵜に魚を飲み込ませ、その後吐き出させる様子がにていることから
 『うがい』と呼ばれるようになった。
 1444年(文安元年)に成立した国語辞典『下学集』には
 「鵜飼(うがひ)嗽(くちすすく)也」とある。
 >>『うがい』と『鵜呑み』の語源・由来! 鵜飼の国『日本』 - 長良川温泉 ホテルパーク
[PR]
昨日、ケータイから投稿した長良川の鵜飼レポートです。
といっても、あまり写真は撮ってないし、おもいっきりダイジェスト(笑)です。

仲間6人で岐阜に向かう。鵜飼の受付所までJR岐阜駅からタクシーですぐ。乗船時間まで近くの商店街を散策。時おり小雨がパラついてましたが、街全体が潤ったみたいで風情がありました。
b0183304_1652324.jpg

鵜飼が始まる前に、鵜匠さんから説明があり、その後、お酒やビールと鮎弁当を持って船に乗り込む。座った床が川の水面の高さなんだけど、この高さがちょうど気持ちいい。スーーーッと滑るように動き出す。雨が霧のようにも見えて、かえって雰囲気を盛り上げてくれます。まさに幽玄。
なぜか演歌をバックに着物姿で踊る女性を乗せた船が最初のショーを見せてくれた。
b0183304_16194124.jpg

静岡から来た仲間が名物うなぎパイを持ってきてくれました。しかもこれはハイグレード・バージョンの『うなぎパイ V.S.O.P.』です。パッケージも豪華。ブランデー入りで (゚д゚)ウマー
b0183304_1624266.jpg

ずらりと並んだ屋形船。だんだん酔いも回っていい気持ち〜。
途中、花火の打ち上げもありました。至れり尽くせりの極楽です。
b0183304_16261357.jpg

だんだん辺りが暗くなって、いよいよ鵜飼が始まりました。
お馴染みの画ですが、実物の迫力は言葉で表現できません!
b0183304_16253594.jpg

まさに「百聞は一見にしかず」という言葉がピッタリの鵜飼。
伝統的なエンターテイメントで、自然と一体化した総合芸術。
写真を撮っていると楽しみ切れないと思いながら
結局は撮らずにいられない魅力。
船の中は、みんなケータイやカメラを持った写真家の集まりになってました。

※まめ知識
 鵜匠の中でも岐阜の長良川の人達は何と公務員、しかも「宮内庁職員」
[PR]