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カラー時代の小津映画というと
モノクロ時代からの「ロー・ポジション」と共に
「赤」へのこだわりが特徴的だと言われる。
私は、この「赤」という表現に、ずっと違和感を持っていた。
小津映画の画面内でアクセント的に使われる「赤」は
日本的な「朱色」だと思うからだ。
もちろん「朱色」も、ざっくりと表現すれば「赤色」の一種だが
映像(映画)作家の“こだわり”でなくても、普通に「」といえば
M(マゼンタ)100%+Y(イエロー)100%の「金赤(キンアカ)」か
もう少し「紅」に近い色辺りを差すのでは?
しかし、実際にGoogleで「小津」に加えて検索してみると
ヒット数が「赤」は「朱」の3倍以上…
(しかも「十朱久雄」など、カラーに関係ないワードが多い)
※小津 赤 の検索結果 約 103,000 件中 1 - 10 件目 (0.24 秒)
※小津 朱 の検索結果 約 34,200 件中 1 - 10 件目 (0.20 秒)

『彼岸花』(小津の初カラー作品)
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小津監督がカラー作品を作ろうとした時に、自分が望む「赤」を出すために
ドイツのアグファ・カラー(Agfa Color)を使ったと、よく言われるが
よく調べてみると、そんな単純な話でもないようだ。
  (テクニカラーとかデラックスカラーというのはよく見るが
   アグファ・カラーというのは小津映画を観るまで知らなかった)

『彼岸花』
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❖アグファ・カラーの「赤色」—『秋日和』の紅葉と婚礼—
>アグファの「赤」は,決して派手な色合いではなく,寧ろ,
>朱が掛かったような,赤茶けた,くすんだ色である。
>他の配色が全般的に地味なものであったから,
>あるいは,小津が好んだとも言われるアグファの
>「青」が要所要所に使われていることとの対照性から,
>「赤」が際立ったという側面もあろうが・・・

❖paperback
>アメリカのコダック製は、小津監督の大好きな
>赤色がとても綺麗に映るのですが、
>空の色が青過ぎてどうにも気に入らなかったらしく、
>ドイツのアグファ・カラーフィルムにしてみたら、
>今度は赤色が朱赤になってしまう。
>結局退色や褐色に強いという事等を考えて、
>アグファフィルムを使用したそうです。

❖小津安二郎のキャメラ番 厚田雄春の世界
>小津の初のカラー作品となった「彼岸花」(1958)では、
>フィルムをアグファにするかコダックにするかでずいぶん悩みました。
>“アグファの赤はちょっと朱色になり、本当の赤はコダックのほうが出るが、
>コダックは空が変に青くなるのでNG”というように一長一短だったからです。

『彼岸花』
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やっぱり小津自身、アグファの発色は「朱色」になるという
認識があったようだが(当たり前か…)
彼の考える綺麗な「青」を出したいがための妥協だったのか?
それとも「青」だけでなく、もともと狙っていた「くすんだ赤」=「朱色」
の両方が再現出来るという事で選んだのか?

私には、小津監督が「赤」で妥協したとは思えないし
たびたび登場する突き抜けたような「青空」も
“つなぎカット”とはいえ、いつも印象に残る強烈な「青」だ。
晴天の「青」と、和風で落ち着いた「朱」の両方ともが
小津の狙い通りの色で表現出来た、と考えれば合点がいく。
(蛇足だけど、大映での『浮草(1959年)』では「緑」が頻繁に使われています。
 これはDVDのオーディオコメンタリーで気付いた…というか、知りました。)

※Agfa(アグファ):日本法人の表記は「アグフア」
(以下、Wikipediaより引用)
文字の制約
2002年10月31日以前
商業登記上、以前は商業登記規則により、商号中にアルファベットやアラビア数字などの使用は認められていなかった(同規則48条の解釈。漢字であれば使用できる字体に制限がないとも解釈できる)。そのため、定款上はアルファベットであるが登記上は片仮名である会社もある(例:株式会社KVK→登記上は株式会社ケーブイケー、TDF株式会社→登記上はテーデーエフ株式会社、株式会社PALTEK→登記上は株式会社パルテックなど)。さらに以前はカタカナのャュョッァィゥェォも使用が認められなかったため、登記上の社名をヤユヨツアイウエオに置き換えたケースもある(例:ジャパンタイムズ→登記上は株式会社ジヤパンタイムズ)。
(筆者注)「キヤノン」「キユーピー」なども、そうですね。

※その他参考サイト
映画 ランダムソート「総天然色」
映画フィルム - Yahoo!百科事典

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小津安二郎の初カラー作品
『彼岸花(1958年)』

■関連記事
 小津安二郎の「青」と「晴天」
 小津安二郎の「緑」/その1『浮草』
 小津安二郎の「緑」/その2『お早う』
 小津安二郎の「色」/オフィス、アパート・・・
 小津安二郎の「色」/『小早川家の秋』
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・・・といってもYESのアルバムの話ではありません。

DVDを観ようとケースから取り出そうとしたら
バキッ!といつもより大きな音がした。(ミシッ!という音も混じってた)
盤を見てビビった。
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ヒビが入ってる!(これは同じDVDでレーベル面じゃない方)
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アッチャ〜〜〜 (ノд`)
たしかに何度も繰り返し使ってたかもしれないけどさ…

ケースによっては、出し入れしづらいタイプのものがあるけど
こんな壊れ方をするとは想像してなかった。
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さっそくバックアップをとらなきゃと思い
パソコンのドライブに入れた。
すると
カラカラカラ…と、空回りするような音が!
認識してくれない。。。
焦って、すぐに取り出しもう一度入れ直した。
おぉ、今度はうまく動いた。ちゃんと読み込めているようだ。
無事バックアップ出来た〜 (´・`)...

デジタル・データとはいっても
物理的に回転させて読み込むメディアだもんな〜。
しかも素材はプラスチック。
カセット・テープやアナログ・レコードもそうだけど
媒体が壊れたらおしまい。

DVD:Wikipedia
>>2枚の0.6mm厚、直径12cmのポリカーボネート製の円板を貼り合わせたもの


あ〜、だから表面と裏面ではヒビの入り方が違うわけだ。

>>“象が踏んでも壊れない”ポリカーボネート

諸行無常
色即是空
空即是色〜 (;ー人ー)
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※チャップリンの傑作短編『のらくら(1919年)』のワン・シーン…
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記事『小津安二郎とチャップリンの異色カット』にも、この“猪木アリ状態”でケンカをするシーンを載せたけど、チャップリンが演じるアクション・シーンは身体能力は勿論のことだけど、それだけでなくアイデアがいつも秀逸だ。猪木を遡ること半世紀以上前、すでにこの頭脳戦術(?)を編み出していたのだ…(笑)
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そしてこれは『街の灯(1931年)』での抱腹絶倒ボクシング・シーン。
なんと必殺“クロスカウンター”が炸裂(笑)!
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『あしたのジョー』で有名な力石とのクロスカウンター、これの元祖もひょっとしてチャップリン?
お互いのパンチを食らった二人はダウンした後、クロスカウンターならではの試合展開になる所も笑える。興味ある方は一度ご覧になって下さい。
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元祖といえば、『サーカス(1928年)』での鏡部屋での警官との“おっかけ”シーン。ブルース・リーの『燃えよドラゴン』にも同じように鏡を使ったアクション・シーンがあるが、『サーカス』でのこのシーンがヒントになったのではないかと思うのだがどうだろう。その他にも、これもまた傑作『のらくら』だけど、ゴルフ場での摩訶不思議で華麗な“反転スイング(というべきか?)”を見せてくれる。器用という以上に、チャップリンがもしスポーツ選手になっていたとしても、その道で大成していたんじゃないかと思う。
そしてアクション・シーンというには微妙だけど、マイケル・ジャクソンの歌うチャップリン作曲の「SMILE」についての記事の中で紹介した「スムーズ・クリミナル」のダンスのようになるシーンもナイスなアイデア勝負のギャグだ。(マイケルは、これで特許を取ってますね)
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ゴルフの不思議スイングと鏡部屋アクションについては、いずれまた書いてみようと思う。
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小津安二郎とチャップリン作品の中での珍しいショットについての記事
を書いてから、カール・ストラスというカメラマンが気になり、調べてみた。
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チャップリンの『独裁者(1940年)』
『ライムライト(1952年)』で、ロリー・トザローと共に撮影を担当したカール・ストラス。色々な名画に関わっていた名カメラマンだったとは知らなかった。知らないうちに観ていた作品もいくつかある。
>>Wikipedia:カール・ストラス(Karl Struss)
>>Internet Encyclopedia of Cinematographers

ピクトリアリスムと呼ばれる絵画的で反リアリズムな写真を目指すアーティスト集団「フォト・セセッション」に参加。仕事としてはヴォーグなどのファッション雑誌に掲載する写真を担当。その後、1919年にハリウッドに移った。
セシル・B・デミルの『男性と女性(1919年)』ではスチール担当だったが、翌1920年からは『Something to Think About』などで撮影を担当、1925年の名作『ベン・ハー』(チャールトン・ヘストン主演の方ではなく、ウィリアム・ワイラーが助監督時代の作品で、当時の制作費で200万ドルを投じた大作。群集の場面では12万人ものエキストラが動員されたそうだ。)にも4人のカメラマンのうちの1人として参加。1927年の『サンライズ』ではアカデミー撮影賞を受賞。第1回のアカデミー賞(翌1928年)ということで記念すべき“史上初”の撮影賞だ。ちなみに、チャップリンの『サーカス』は、同じく第1回のアカデミー特別賞だった。
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チャップリンの親友ダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードの二人が出演した『じゃじゃ馬馴らし(1929年)』でも撮影を担当しており、『独裁者』での起用は、このあたりの繋がりかも知れない。その他、“主観カメラ”が画期的だったフレデリック・マーチ版『ジキル博士とハイド氏(1932年)』や、『火星探険(1950年)』『クロノス(1957年)』『蝿男の恐怖(1958年)』(デイビッド・クローネンバーグの『ザ・フライ』は、これのリメイク)などで撮影を担当した。
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あと、ノー・クレジットだが『風と共に去りぬ(1939年)』では、テクニカラー・テスト撮影の監督をしている。
チャップリンより3歳上、1986年生まれのドイツ系アメリカ人が反ナチ映画の『独裁者』の撮影を担当するというのも皮肉だ。

カメラのレンズで特許も取っている。
>カール・ストラスが1909年に特許を取得…
>カール・ストラス/ピクトリアル・レンズ

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昨日の記事の続きを書こうとしていて気付いた事が二つ。

まず、ロー・アングルとロー・ポジションを混同してた事。
カメラが見上げるのがロー・アングルで、
低い位置から撮影するのはロー・ポジションなんだそうだ。

※カメラを覗き込むチャップリン(ロー・ポジションですな)
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↓このサイトは分りやすいです。ここを見て、一目で理解できるはず。
❖アングルとポジションについて

よく「小津監督はロー・アングルが特徴で…」と言われるが
正しくは“ロー・ポジション”です。
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>>http://homepage2.nifty.com/yamamoto_kun/jiten.html
>小津が得意なのはロー・ポジション
>加藤泰はロー・アングル

もう1点は、2枚並べた『独裁者』のキャプチャーを見てて気付いた事。
この2つのシーンは、ほとんど(短い2カットをはさんで)繋がってるんだが
よく見たら空が違う。2枚目の空には雲がない!
同じ場所とアングルだけど、離れた時間に…
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ひょっとしたら別の日の撮影かも知れない。
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画面構成やカメラ・アングルに特徴のある小津安二郎監督。カメラ移動の少なさや様式的な構図、特に「ロー・アングル(ロー・ポジション)」は“小津調”と呼ばれる代表的なカメラ・ワークだ。
唯一の大映作品『浮草(1959年)』は、撮影が“名匠”宮川一夫という貴重な組み合せという事も含め、少々異色な作品だ。とは言え小津から宮川カメラマンへ撮影に関しての細かい指示はなかったそうで、宮川サイドであらかじめ“小津調”を理解した上で撮影に臨んだようだ。よって全体的にはいつもの小津調なのだが、ところどころ他の作品には見られないような珍しいカットがいくつかある。常に“晴天”にこだわる小津監督だが、この『浮草』では珍しく雨が降る(笑)。しかも大雨、豪雨だ。石畳を叩き付ける“どしゃ降り”を挟んだ軒下で、中村鴈治郎と京マチ子が罵り合うシーンは、とても印象に残るシーンだ。その他にも、冒頭近くの俯瞰シーンも、何でもないようだが、小津映画としてはこれもまた珍しい。他の作品で見られるたとえば建物の窓から見下ろす“つなぎカット”などを除けば、ひょっとしたら小津作品の中で唯一の俯瞰シーンかも知れない。ちなみに、この撮影場所を見つけるまで3日も掛けてロケハンしたそうだ。
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あと、今回はチョイ役の笠智衆が芝居小屋を尋ねるシーン。こちらは俯瞰とまではいかない高さか。他の監督作品なら何でもないカットだが、小津映画の流れの中に突然登場すると、いい意味での違和感があってハッとする。しかも歩いている役者が、小津作品ではお馴染みの笠智衆だけに印象深い。
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戦後の日本的ホームドラマ路線からは想像つかないかも知れないが、戦前の小津映画は、意外にもモダンな要素が取り入れられていたり、バタ臭い欧米的なイメージの作品もある。小津は、作品演出の中で様々なテクニックを試行錯誤しながら、一方では、映像の技巧や画面要素を少しづつそぎ落とす作業を重ねて簡略化していった。そして、どんどん個性を凝縮して自分流の様式美を完成させた。そして、最終的には「技巧が技巧として目立っちゃいけない」という持論に至ったのだろう。

同じような事を言っている映画作家にチャールズ・チャップリンがいる。彼の場合は、最初の頃から「私はテクニックを信じない。芸しか信じない、そしてスタイルだ。」と主張し「カメラは出しゃべるべきではない」と常々言っていた。幼い頃から長い間、舞台で活動して来たせいもあるだろう。
この『ライムライト(1952年)』での舞台転換のシーンは珍しいカットだ。この作品でも、全体の画面構成は舞台っぽいシーンが多いので、いきなり舞台裏が映るこのカットには驚く。
(※撮影:カール・ストラス/撮影顧問:ロリー・トザロー)
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チャップリン初の完全トーキー作品『独裁者(1940年)』では移動撮影が増え、ゲットーが映るシーンや、チャップリン演じる床屋が絞首刑にされそうになるシーン、宮殿でのパーティの場面などでは、珍しくクレーンも使ってるようだ。
突撃隊が攻めてくる、この緊迫するシーンでは珍しいロー・アングル。いや、ウエスト・レベルくらいか。それでも初めて観た時はびっくりした。長年、チャップリンの専属カメラマンを担当していたロリー・トザローに加え、この作品と『ライムライト』で撮影スタッフとして仕事をしたカール・ストラスの仕事だろうか。
(※撮影:カール・ストラス、ロリー・トザロー)
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こちらのシーンでは、カメラが奥から手前に移動する所から始まる。
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その直後の、家に押し入られる俯瞰シーン。コミカルな乱闘シーンではなくシリアスな暴力シーンであり、これもチャップリン映画にしては珍しい。
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サイレント時代の傑作『のらくら(1919年)』(私の超お気に入り)作品では、元祖“猪木アリ状態”でケンカをするシーンがあるが、ただでさえ珍しいクローズ・アップに加え、それぞれ俯瞰とロー・アングルだ。

※猪木アリ状態のチャップリンとマック・スウェイン
(撮影:ロリー・トザロー)
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小津安二郎とチャールズ・チャップリンの、もう一つの共通点は、長期間に渡って同じカメラマンを起用していた点にある。
小津監督は、厚田雄春(あつた ゆうはる)氏を1937年の『淑女は何を忘れたか』から1962年『秋刀魚の味(遺作)』まで、東宝2本(1950年『宗方姉妹』1961年『小早川家の秋』)と大映の『浮草(1959年)』を除く作品で起用。
チャップリンは、ロリー(ローランド)・トザローを1918年『犬の生活』から、アメリカを実質追放される1952年の『ライムライト(顧問のみ?)』まで30年以上一緒に仕事をした。
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>>天才ゆえの葛藤か 加藤和彦さん最後のインタビュー

ずっと「進行形の現役ミュージシャン」という印象があったから驚いた。
鬱病だったということだけど、自分を過小評価するタイプだったんだろうか…。

80年代に、打ち込みライブ・バンドをやっていた事があるのだけど、
メンバーのうち二人が書くオリジナル曲に混じって
2曲だけはカヴァーを演ってました。
それが、これらの曲たち。

サディスティック・ミカ・バンド「Boys & Girls」


同じく「タイムマシンにおねがい」
(こちらの映像も二代目ミカの“桐島かれん”バージョン)

♪お〜ねがいたい!!

加藤和彦さんのご冥福を祈ります。
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何らか事情があって、脳を一旦取り出す手術をされる。手術室ではなく、学校の教室か会議室のような部屋。研修のためか多くの人が列を作って並んでいる。麻酔をされるが、まったく効かない。それでも今すぐに手術しなければいけないということで2〜3人掛かりで押さえられてメスを入れられる。頭のてっぺんから身体の前面を切られたところで目が醒めた。皮膚が切られる感触がまだ残っていた。凄い悪寒がして、インフルエンザにでも罹ったか…と思った。部屋のカーテンは閉めてあったけど、窓が空いたままだった。
http://fortune.i-revo.jp/dreambook/keywordsearch.php?query=手術
http://yume-uranai.jp/keyword.php?keyword=%8E%E8%8Fp&q=1

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※今朝は霧でした。
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買い物帰りに、ふと通りかかった日用品店の看板に目が止まった。工具や金物などに混じって“照明”の文字を見付け、今夜のライブに使う“自分用”の照明機材を家に忘れてきたのを思い出した。以前、オリジナルの照明器具を作ってから毎回ステージに持ち込んでいたのだ。振り返るように立ち止まったので、仕込み仕事中の店員さんが気付いてくれ、急いで片付けて声を書けてくれた。店員さんに「撮影用のアイランプを使って、こういった物を作りたいんですが…」と欲しいパーツを説明した。両手に荷物を抱えて建物(ライブ会場?)に入ろうとして、また忘れ物に気付いた。*歌詞カードを忘れてきてしまったのだ。周りにいた人達に「誰か歌詞カード持ってたらコピーさせてくれませんか〜」と言うと、“友人”の明石家さんまが「俺、持ってるから」とカラオケ本のようなブ厚い本を貸してくれた。
「お前パーカッションだし、いつも歌ってないやろ」
「いや、まとまったパートがあって、歌詞が分らないと出来ないんだよ」
歌詞も手に入って一安心したところで、また思い出した。オリジナルのマイ譜面台も持って来てない・・・
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・・・これは今日見た忘れ物の夢なんだけど、不思議なのは“夢の中で思い出す”、“夢の中だけの記憶”があるという事。現実世界ではオリジナルの照明器具や譜面台なんて作った事ないのに、どういうパーツで、どんな色をしていて、どういった組み方をしたのか…はっきりイメージして“思い出している”のだ。こういった夢の中だけの記憶というのが今日の夢に限らずあって、中には記憶と言うより、比較的長い期間の「経験」といった方がいいものもある。何か夢を見ている時、“毎日遅刻していた中学時代”を思い出す事がある。実際には学校に遅刻した事なんかないのにリアルな「記憶」があるのだ。とっくに学校が始まっている時間に、のんびりと朝食を食べてから出かける。学校に着いてからも教室には行かずに、トイレに入って用を足しながら何十分も時間をつぶす。しかも、大量にトイレットペーパーを使うのだ。そんな毎日だった事を後ろめたく感じる「記憶」がある。他にもそういった“夢の中の日常”というのがいくつかあるけど、不思議でしかたない。

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まったくの余談だけど、これを書いていて気付いた。
*「歌詞カード」って言葉を何気なく使ってるけど、一般的には
CDとかに付いてるライナーの一部を言うのだろうか?
譜面台とかに乗せる“歌詞を書いたメモ”も「歌詞カード」って言うような…。
でも「カード」ってヘンだな。。。

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>海上保安庁は16日、同庁の巡視船が15日夜に
>北朝鮮の航行警報を受信したと発表した。

:10月16日(読売新聞)

せっかくミサイル発射をしたけど、日本にスルーされたニダ <#`Д´>
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