<   2010年 04月 ( 8 )   > この月の画像一覧

家族でマンションに住んでいる設定。
そのマンションは1フロアーに1世帯、
7〜8階建でエレベーターなし。
3階くらいに住んでいる。

窓から外を眺めていたら、突然ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・
という音と共に、数軒の連なった一画が
地中に陥没していった。
b0183304_2382446.jpg

映画か何かで見たような光景だけど信じられない((( ;゚Д゚)))
何がなんだか分からずにパニック状態でいると
今度は自分がいる場所でゴゴゴゴゴゴゴ・・・・
地震のように揺れたと思ったら
窓の景色が、どんどんせり上がってくる。

ヤバい!
地中に埋まってしまう。
・・・と思う間もなく真っ暗に。

急いで玄関を開けると、階段の上から光が漏れている。
最上階の非常口から外に出られそうだ。
階段を必死になって駆け上がって外に出た。

まるで空爆を受けた後みたいに別世界だ。
人の手足があちこちに転がっている。
外に避難した人はまばらだが、なぜかみんな
手足が1〜2本づつ取れている。

そこでフェイドアウトするように目が覚めた。
覚めても、まだしばらくゴゴゴゴゴゴゴ・・・・
という音と震動が身体の中に残っていて
恐怖が続いていた。

数日前に見た夢だけど
あまりに強烈だったので、まだハッキリと覚えている。

映画『未来世紀ブラジル』
地中から建物が“生えて来る”「夢のシーン」があるが
僕が見た夢は、その逆というか…
b0183304_238594.jpg

ちょっとイメージが違う。
もっと似た映像を見た事がある気がするのは、単に気のせいか…?

b0183304_23101096.jpg『未来世紀ブラジル』1985年
監督: テリー・ギリアム
出演: ジョナサン・プライス、ロバート・デ・ニーロ

[PR]
前回11月末の検査から約4ヶ月。ずっと不摂生してたので1ヶ月先延ばししてしまった。案の定ヒドい結果だ (´・ω・`)
「γ-GTP」は、さほど変わっていないが(とはいっても悪い数値…)血糖値が少しと、中性脂肪が前々回くらいの数値に戻ってしまった。血糖値については、2時間値で140が正常値という事で、3時に昼食を摂って夕方5時頃の検査なので大丈夫だとは思う。
b0183304_17591028.jpg

今回は問題のある3項目だけをグラフにしてもらった。分かりやすい!
この2年間で順調に悪化してます/(^O^)\
b0183304_17593458.jpg

食事の内容は、それほど変わってないはずだし、そんなに肉食中心という程でもない。油にも、一応それなりに気を使ってる。マヨネーズやオイル入りのドレッシングは使わないようにして、サラダには薄口の柚子ポン酢
分かった。酒のツマミだ!
どうしてもアルコールが入ると、ソーセージとかの肉食ジャンク系が食べたくなってしまう。口にするなら、せめてナッツ類とか少しでもヘルシーなものに変えないと…

中性脂肪のすべて〜高い低いとあせる前に〜
[PR]
『小津の切り返しショット[2]』で、検証から漏れていた代表的なパターンがあった。正面で向き合って会話するパターンだ。たとえば『秋日和(1960年)』での“ゆで小豆”を食べるシーン。
b0183304_2257756.jpg
ツーショットでは、二人がズレて座っているようにも見えるが、手前のテーブルの模様から推測すると司葉子の左肩あたりの延長線上にカメラがあるようだ。二人とも俯いているので視線のラインは描いていない。
b0183304_22573661.jpg
切り返しでは、お互いの真正面からのショットを想定したとすると、いつものように目線が微妙に“同じ方向に”外れている。これこそ「AもBも同じ方向を向くシーン」だろう。そして、これが「切り返しショットがイマジナリーラインを超えて真正面から捉える手法の大原則が破られることはなかった(Wikiより)」という事?
二人の位置関係が真正面だとするとイマジナリーラインは2本あることになる。しかも、どちらのラインも“またいで”いるので、ダブルで「イマジナリーライン超え」をしていることになる。 そして、[パターン4]の「姿勢は変わらず、視線に合わせてカメラがズレる」に当たるかな?
…何だか自分の定義さえ分からなくなってきた (´・ω・`)
いや、そもそも「カット毎の2次元的な“絵”にこだわる」小津安二郎だ。「三次元的な辻褄」を見つけようとする事自体に無理があるのかも知れない。

ところで、“はっきりと”AもBも同じ方向を向くシーンは、前記事に貼った「小津のパロディCM」はズバリそのものでした…(^_^;)
b0183304_2259196.jpg
切り返しのカットではベッキーの身体の向きが変化。
カメラはイマジナリーラインの中で切り替わっています。
b0183304_22594512.jpg

■関連記事
 小津の切り返しショット[2]:視線の先には誰もいない
 小津安二郎『大学は出たけれど』-1
 小津安二郎『学生ロマンス 若き日』-1
 小津安二郎の「青」と「晴天」
 小津安二郎の「朱(あか)」と「アグファ(Agfa)」
 小津安二郎の「緑」/その1『浮草』
 小津安二郎の「緑」/その2『お早う』
 小津安二郎の「色」/オフィス、アパート・・・
[PR]
( ゚д゚)・・・
こんなCM知らんかった


2008年2月には放送されていたとか…
それにしても良く出来てる。
小津のロー・ポジションは、こうでないと。

小津映画のロー・ポジションについては色々な説があるが、
 私は

「画面のメインに映る“ちゃぶ台やテーブルなどの天板”が水平になる」

 というのが基準だと思う。
だから、アパートなどで洋式のテーブルや勉強机が映る場面では
和室よりもカメラのポジションが高くなる。

この↓DVDのジャケット・デザイン↓が典型的な“小津調ロー・ポジション”。
素晴らしすぎるイラスト!
二次元という「絵」にすることで、より鮮明にシンプルに伝わる。
まるで小津映画の構図、その設計図のようだ。
b0183304_20504327.jpg
『The Only Son (一人息子)
 / There Was A Father(父ありき)』

※Region 1

mixiのテ●ン●ウ●スさん、情報ありがとうございました!

b0183304_2184747.jpg
[PR]
小津安二郎 - Wikipediaより、以下引用

小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていない・・・イマジナリーラインを超えてはならないとされる「原則」に反していると指摘・・・小津は確信を持ってこの手法を取り入れていたため、少なくとも中期以降の作品においては、*切り返しショットがイマジナリーラインを超えて真正面から捉える手法の大原則が破られることはなかった。・・・

*中期以降の作品では「イマジナリーライン超えした真正面からのショット」という「小津手法」を貫いた…という意味か?

[パターン1]
b0183304_22413366.jpg

たとえば前記事『大学は出たけれど』のシーンや、『晩春』での有名なツーショット・シーンでも、並んで会話する二人を交互に一人づつ見せる時、カメラの位置がカット毎に切り替わる。役者は“ほとんど”カメラ目線だが、ほんの少しだけカメラから外している。なので、相手の方向を向いた時の「肩」の向きと「視線」そして「カメラ」の位置関係は下の図の通りになるはずだ。よくある“カウンターに並んだ人物のシーン”なども、このパターン。
b0183304_22552123.jpg

実際には、カメラの位置は相手の人物よりも遠くから撮っているように見え、カメラに向かった人物の「視線」の向こうには観客しかいないような“絵”だ。
この、二人(の視線)を結ぶ“想像上の線(ライン)”を想定線(イマジナリーライン)と呼ぶのだそうで、小津映画では、このラインを超える(またぐ)カットが多く存在するというのだ。イマジナリーラインは「視線(目線)」とは限らないが、あえて今回「視線(目線)」に絞って自分なりに検証してみた。

[パターン2]
b0183304_22564940.jpg

『東京物語』での、上京前の“空気枕”の会話シーン。さっきの『晩春』のシーンと似ているが、より“平面的”な構図にするためか、人物の腰から下に対して真横から撮った時に二人が重ならないように、前後にずらして座らせている。それなのに、会話する“切り返しカット”では、「視線」と「肩の角度」が反転させるとピッタリ合うくらい左右対称だ。下の3点『秋日和』での切り返しも同じ。二人は前後にずれて座っているが、切り返しカットを並べると“左右対称シンメトリー”だ。つまり、後ろに下がって座っている東山千栄子と司葉子の「視線」の先には“誰もいない”ことになる。あくまでも、カット毎の2次元的な“絵”にこだわった小津監督らしい画面だと思う。これらの切り返しカットでは二人を結ぶ「視線」はバラバラだ。(かろうじて、前方に座った笠智衆と原節子は、後方の相手を見てるか…?)
b0183304_22572329.jpg

前記事で「戦後作品では意外と正面ショット、もしくは顔だけが正面向きというショットが多いような気がする」と書いたが、たとえば『彼岸花』でのこのシーンはどうだろう。

[パターン3]
b0183304_22575956.jpg

ツーショットのカットでは向かい合った「視線」は1本だが、続く切り返しカットでは田中絹代が真正面を向き、“ほとんど”カメラ目線になり、突然「視線」がバラバラになったように感じる。
b0183304_22584153.jpg

↑この図は間違い。背景の障子や襖の格子をよく見てみると、やはり田中絹代は有馬稲子の方向を真っすぐ向いており、有馬も「肩」を田中に向けた姿勢だが、カメラは「視線」の少し左から撮っている。
b0183304_22591378.jpg


[パターン4]
次も同じく『彼岸花』からの浪花千栄子との会話シーン。ツーショットのカットでは、「肩の向き(姿勢)」も「視線」も真っすぐ向かい合っているが、切り返しカットで田中絹代の真正面カットで“ほとんど”カメラ目線になり、浪花は顔の向きはほどんど同じだが、「視線」を少しだけ右を向いている。
b0183304_2259498.jpg

上記(有馬と田中)とは違って、切り返しカットでの浪花千栄子の「視線」は田中絹代を真っすぐ見ていない。
b0183304_2302168.jpg

再び『彼岸花』の佐分利信とのシーン。

[パターン5]
b0183304_231732.jpg

ツーショットのカットでは田中絹代の「肩」と「顔」の角度は真っすぐ佐分利信を向いた姿勢だが、切り返しのカットでは顔をかなり左に向けて真正面を向く。ツーショットでの姿勢とは変わり、“ほとんど”カメラを見つめる「視線」の先には“誰もいない”。
b0183304_2314463.jpg

カット毎の二次元的な“絵”にこだわり、三次元的な整合性は気に留めない小津の
「ツーショット」と「切り返しカット」における整合性パターン
[パターン1]:姿勢は変わらず、視線も合う。
[パターン2]:姿勢は変わらないが、視線と共にカメラがズれる。
[パターン3]:姿勢・視線ともに変わらないが、視線の片方からカメラがズレる。
[パターン4]:姿勢は変わらず、視線に合わせてカメラがズレる。
[パターン5]:姿勢が変わった結果、視線も外れる。視線の片方からカメラもズレる。
・・・等々、他にも色んなパターンがありそうだが、今回挙げた例では[パターン3]の“間違った図”のように人物の「位置関係」が変わる例はなかった。

イマジナリーライン(3):映画講座30
『Zで行こう!』イマジナリーラインは超えないのが基本
 >>原則を破った映像(動画に直リンクします)

※極端な例かも知れないが、向かい合った二人のイマジナリーラインを超えて、どちらも“左頬”側から撮ると… 不自然。。。
b0183304_23491631.jpg

『東京物語』の現在:デジタル小津安二郎
「私は一向に構わずАВを結ぶ線をまたいでクローズ・アップを撮る。すると、Аも左を向くし、Вも左を向く。だから、客席の上で視線が交るようなことにはならない。」
※小津自身の言葉だが、AもBも同じ方向を向くシーンなんてあったっけ?
 ↑4月22日の新記事に…
  >>小津の切り返しショット[3]:イマジナリーライン超え

■関連記事
 小津安二郎『大学は出たけれど』-1
 小津安二郎『学生ロマンス 若き日』-1
 小津安二郎の「青」と「晴天」
 小津安二郎の「朱(あか)」と「アグファ(Agfa)」
 小津安二郎の「緑」/その1『浮草』
 小津安二郎の「緑」/その2『お早う』
 小津安二郎の「色」/オフィス、アパート・・・
 『宗方姉妹(新東宝)』松竹以外での小津作品の照明-1
[PR]
『大学は出たけれど(1929年)』で、一番「はっ」としたのは後年の小津には欠かせない「切り返しショット」が出て来た事。デジャヴュというと変だが、小津映画独特の違和感を感じて気が付いた。
b0183304_2247559.jpg

しかも徹夫(高田稔)のウエスト(バスト)ショットを挟んで
〝誰があんな所で働けと言った!〟
というセリフ(字幕)が続けて二度言われる。こういった、お馴染みの“繰り返される台詞”も、すでにここにあった。初期の作品はフィルムが現存しない作品が多く、『大学は出たけれど』まで9本が観る事が出来ない。この作品も本来の長さの数分の一しか残っていないので、このカットが小津作品での切り返しショットの“お初”とは言い切れないが、現存する作品の中では、ひょっとして“一番最初”なのでは?

b0183304_22482777.jpg

高田稔の罵声を受けて
〝働く者が一番仕合わせだと思っただけです。楽にもなるし〟
〝おっ母さんにも心配をおかけしまいと〟
と町子(田中絹代)の字幕が続いた後、いつの間にか寝転んでいる徹夫と、彼をなだめるように声をかける町子がいる。そして
〝おれがあんまり呑気すぎたんだ−−−〟
という字幕。すすり泣く町子。そして翌朝(というには暗い)の土砂降りのシーンへ・・・
わずかに残された“断片”ともいえるフィルムで編集されているので流れが不自然だし、どの程度の口論だったのかは想像しづらい。

“小津調”を確立した後の「切り返しショット」を並べてみる。

『東京物語(1953年)』
b0183304_21343638.jpg

『彼岸花(1958年)』
b0183304_21353377.jpg

『秋日和(1960年)』
b0183304_2136414.jpg

切り返しカットを探しながら思ったのだが、戦後作品では意外と正面ショット、もしくは顔だけが正面向きというショットが多いような気がする。それと典型的な切り返しショットは、割とアップに近くほとんどバスト・ショットと言えるカットが多い。それに対して『大学は出たけれど』ではカメラが引き気味で、ウエスト・ショットに近い。
b0183304_21364170.jpg
b0183304_21365836.jpg

続く>>> 小津の切り返しショット[2]:視線の先には誰もいない
[PR]
小津安二郎の『大学は出たけれど(1929年)』は元々はおよそ70分の作品だったそうだが、残念な事にフィルムの紛失によって、現在はわずか11分程の断片で編集されたものしか観られない。
大不況まっ只中に大学を卒業して、就職が決まらないでいる徹夫(高田稔)の下宿に、婚約者の町子(田中絹代)が上京し尋ねて来る。〝お郷里(くに)からお客さまですよ〟という字幕の後に登場する当時十九歳の田中絹代の日本髪に思わず“のけぞった”。
b0183304_21552854.jpg

1929年(昭和4年)当時、普段から日本髪を結っている女性は多くはなかったはずだ。その後のシーンでの田中絹代の短い髪からも考えられるが、当時の芸者さん達がカツラを仕事用に着用していたように、登場シーンでの日本髪はカツラだろう。昭和初期の女性達は、“カツラで日本髪”というのが“和服でのよそ行き”用のヘアスタイルとして普通だったのだろうか。

この映画では、小津映画では珍しい“雨のシーン”がある。しかも、ちょうど30年後の作品『浮草』での有名なシーンのように“どしゃ降り”だ。しかし、中村鴈治郎と京マチ子が雨を隔てて罵り合っていたのとは逆に『大学は出たけれど』では、雨の中一つの傘の中で、プライドを捨てる決意をした男とそれを励ます妻(まだ婚約者?)という愛情溢れるシーンで、まったく対照的だ。この激しい雨は、サイレント映画であるにもかかわらず、とても音楽的な演出効果を生んでいると思う。
b0183304_2272931.jpg

そして就職が決まり仕事に向かう男を見送るシーンで、小津の好きな「電車」の登場だ。見送った妻が、振り返りざまに道路を駆けて行くラスト・シーンで終わるのだが、雨降りシーンとは対照的にカラっと晴れた空が広がっている。画面の上2/3以上が、お馴染みのつなぎシーン(インサート・カット)のように“青空”と“電柱”が見えるのが、また小津らしい。

※他と同じようにクリックで拡大
b0183304_21573493.jpg

※何度観ても分からないのは、橋の上から列車の男を見送った後で“何か”に反応して振り向き、なぜか電車が去った方向とは逆に向かって駆けて行くこと。いったい何に向かって走っていったのだろう?これはフィルムが足りないせいか、それとも私の理解力が足りないためか…。

※4月19日:追記
mixiの小津安二郎コミュの親切な方々が、この疑問を解いてくれました。
フィルムは失われていますが、シナリオが『小津安二郎全集』という本に収録されており、それによると
—徹夫が忘れた腕時計を渡すために駅に向かっている町子を、洋服屋が呼び止めた。急いでいたので家で待つように言い残す。徹夫を見送ったあと洋服屋のことを思い出したのか、急いで駆けて行った。—
ということでした。mixiコミュの方、ありがとうございました。

続く>>>『大学は出たけれど』-2:切り返しショット

■関連記事
 小津安二郎『学生ロマンス 若き日』-1
 小津安二郎の「青」と「晴天」
 小津安二郎の「朱(あか)」と「アグファ(Agfa)」
 小津安二郎の「緑」/その1『浮草』
 小津安二郎の「緑」/その2『お早う』
 小津安二郎の「色」/オフィス、アパート・・・
[PR]
久々のボヤきネタ…

数日前のこと、携帯に固定電話からの着信が残っていた。市外局番で留守電メッセージも残っていなかったので無視しておいた。次の日、飲み会。待ち合わせ場所に着いて迎えの人に電話しようとして前日と同じ着信が入っていたのに気付いたが、すぐに飲み仲間と電話で合流できたので、放置して居酒屋へ。酔っぱらってケータイをどこかに忘れてしまう事がたびたびなので(^_^;)、最近は飲みに行っている間カバンに入れてます。そしてまた翌日。犬の散歩から帰ると、また同じ番号の着信があるのに気付いた。三日連続だったので、さすがに気になって着信番号に掛けてみた。
相手が出た瞬間に気付いた。先週(先月末)、書店に本を2冊の取り寄せを頼んでいたのだ。在庫切れだが4月の頭頃に入荷予定との事。書店から最初の着信があったのはわずか二日後。“市外局番の地域”を勘違いしていたのと、“メーカーの”在庫切れの商品を発注して入荷待ち(と思っていた)ので、早くても数日から1週間くらいは掛かると思い込んでいたから、まさか書店からの電話とは思わなかった。

名前を告げて電話をもらっている事を告げた。
「少々お待ち下さい。・・・・・はい、ご注文の商品が入荷しておりますので…」
えっ。もう入荷した?!と思って
「2冊注文しているんですが、どちらも入荷してます?」
「少々お待ち下さい。・・・・・はい、2冊とも入荷済です」
「3回もお電話頂いてまして…。できれば留守電にその旨残して頂けると助かりますが…」

「でしたら、ご注文の時にそのように言って頂くようお願いします」

まるで『ウチは、そういう方針なんです』とでも言うような口振りから、店長とか責任者っぽい感じがした。本当にそういう方針だとしたら、お客だけじゃなくお店にも良くないマニュアルだ。お客の方から掛け直すまで電話を入れ続ける店員さんも手間なだけでしょ。
クレイマーみたいな電話になりそうだったので、ぐっと抑え「じゃ、次からはそうします」とだけ返した。

今日、修理に出していた携帯が直ってきた。着信には気付かなかったが、ケータイ・ショップからの留守電メッセージが入っていたのだ。出掛けていた足で受け取りに行った。やっぱり、これが普通じゃないの?

あと、仕事やプライベートの電話で
「また電話しまーす」
とだけ残された留守電メッセージ。
う〜ん?これって結局・・・
『電話くださ〜い』ってことですよね。
b0183304_21162020.jpg
『着信アリ』
Final スタンダード・エディション [DVD]

[PR]