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大好きなキング・クリムゾン、なかなか前線に復帰してくれない。前回2003年の来日から随分経ち、私もすっかり情報に疎くなってしまっていた。翌年、トレイ・ガンが抜け、スケジュール多忙のためメンバーでありながら休止状態だったトニー・レヴィンが復帰した事は知っていた。『レッド(1974年)』の後や『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア(1984年)』の後の解散とも、ダブル・トリオ後の一時的なプロジェクトへの移行とビル・ブラッフォードの脱退による空白期とは違い、活動待ちの状態が続いていた。ところが、クリムゾン結成40周年にあたる2009年にアクシデントがあったらしい。すっかり情報から遠退いていた私は知らなかったのだが、クリムゾンは前年の2008年から、フリップ〜ブリュー〜レヴィン〜マステロットに加え、フリップお気に入りのバンド*Porcupine Tree(ポーキュパイン・ツリー)のドラマー、ギャヴィン・ハリソンを加えた新しい編成で活動を開始しており、ツアーも行っていたのだ。
 *スティーヴン・ウィルソン(K.クリムゾン5.1chのリミックスも担当)が
 元JAPANのリチャード・バルビエリらと組むプログレ〜ヘヴィ・ロック・バンド
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そして、翌2009年の予定を確認するために、エイドリアン・ブリューがフリップにスケジュールをメールした所、クリムゾン40周年の記念すべき活動が予定されていた重要な期間に、どういう訳かブリューのソロ活動がダブル・ブッキングされていた事が判明。フリップは激怒して、何とクリムゾンの活動自体を白紙にしてしまった。その後、ブリュー側は予定の変更を申し出たが、時すでに遅し。フリップは完全に臍を曲げ、クリムゾンの活動そのものに関心を無くしてしまっていた。フリップ曰く「これはカレンダー上の日程の問題ではない。関心を持つこと、意図すること、集中すること、没頭すること、やりとげる意志を持つことの問題なのだ」そうだ。『ライヴ2008』というタイトルでリリースされる予定だったニュー・アルバムも、急遽発売中止となった。※ダウンロードでの購入は可能(追記参照)

※いつもステージでは陰に隠れている“リーダー”フリップ師”だけど
 これでは御姿が客席から見えませんがな(´・ω・`)
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トニー・レヴィンのサイトを辿ってみると、さすが!ちゃんと日記が残っていました。
(我々は、戻ってきたーーーーーっ!!)
仕方なく、久々にブートで音源を探してみた。2008年8月11日ペンシルヴェニア公演が出ていた。(※リンク先はトニーの日記)以下、その演奏をレビューします。オーディエンス録音のため、音質はイマイチで分離も悪いですが、全く体験できないよりは良い(^_^;)

※ギャヴィン・ハリソン(Gavin Harrison)


まずは新ドラマー、ギャヴィン・ハリソンのお披露目も兼ねて「Drum Duo」からスタート。定位がはっきりしないので、二人の区別が難しい。エレドラはマステロット、細かいバスドラはハリソンだろうから、マステロットで始まりハリソンに移行し、最後はエレドラで終わるという流れ。デュオというより、一部重なりながら交互にプレイしたように聴こえた。
そして「コンストラクション・オブ・ライト」に続く。二人のスネアのフレーズをきっちり合わせているのでオリジナルと印象が違う。ドラムレスになる箇所ではトニー・レヴィンが曲に慣れていないせいかタイミングが合わない。ライドのフレーズは2003年の来日公演の時のようにシンプルなまま。続いては何と「ニューロティカ」だ。「コンストラクション…」の原型とも言える『ビート』収録曲。似た曲、しかも難曲を続けて演奏するとは意外な構成。ただ、嬉しい事に“語り”パート後のヴォーカル部分を1コーラス分丸ごとインストで演奏してくれた。この曲は1981年の初来日の時には「マンハッタン」というタイトルでのインスト曲として披露された。ヴォーカルのパートが出来ていなかったのか、それとも難曲のためヴォーカル入りの演奏が出来なかったのか不明だが、初来日公演でのハイライトだった。同メンバーでの2枚目のアルバム『ビート(1982年)』がリリースされると、ヴォーカル曲になってしまってガッカリした覚えがある。歌が乗った事で、演奏の複雑な絡みを楽しむ醍醐味が半減してしまった。カラオケ・ヴァージョンをボーナス・トラックでも何でもいいから出して欲しいとさえ思っていた(笑)。本人達にも自覚があったのか、そういうリクエストがあったのか分からないが、インスト・パートの後にヴォーカルが入るという展開で、これだけでもアルバムを買った意味があった。
続く曲は「レッド」だ。何と濃密な展開のライヴだろう。中間部では、アクセント部分を含め珍しくドラムが音を散りばめる。こういったアレンジは初なのでは?新メンバーであるハリソンのアイデアだろうか。とにかく全体的にブラッフォードの呪縛が解かれたかのような炸裂するツイン・ドラムが心地良い。
雰囲気が一転して「スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア」。原曲ではブラッフォードの“一人ポリリズム”だったのをダブル・トリオ時代にはリズムを分解して二人で叩いていたのが面白かった。今回はそれとは全くリズムを組み替えた新アレンジのドラム・セクション。時折ハリソンの激しいプレイに触発されてか、レヴィンが細かいフレーズで応戦していた。
そして「ダイナソー」に続き「トーキング・ドラム」と来れば「太陽と戦慄パート2」だ。この曲のテンポは、イントロでのフリップに命運が賭かっているのだが(笑)、この時は、ほとんどオリジナルに近いテンポでリフが繰り出された。落ち着きがあって、かつヘヴィ。こんな演奏を生で観たいものだ。
箸休めの「ウォーキング・オン・エアー」に続き、ダブル・トリオ時代のドラム・アンサンブル「B'ブーム」。これは、作曲されたデュオ演奏。
そして、お馴染み「フレーム・バイ・フレーム」に続いて「レヴェル5」。今回はプログラミングを使用していない模様。特殊な音色なのでマステロット自身が人力で叩き、ベーシックなパターンをハリソンが担当しているのか。中間部で、ダブル・トリオ時代「スラック」の途中でよく演奏された“二人での”クラッシュシンバル・ミュートが登場。なかなか効果的な使い方。プロジェクト3〜4の流れを汲んだデジタルな曲が、ツイン・ドラム向きでライヴな曲として生まれ変わった。
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次の「インディシプリン」は、今回ハリソンがメインなのか。いつも以上にアグレッシヴだが、ギター・ソロのバックでのバスドラム4つ打ちは、ちょっと頂けない。
続いて再びドラム・デュオだが、これは面白い。2台のドラム・キットがテーマとなるアンサンブルを奏でた後、マステロットが導くベーシックなリズムにハリソンが複雑に絡み、曲がポリリズムに膨らんで行く。途中シンバルやベル中心の演奏になったり、エレドラの聴かせ所があったりと二人のドラマーの個性を生かしつつ起伏のある展開を見せ、いつの間にかテーマに戻って終わる。


ほとんど間を置かず「セラ・ハン・ジンジート」が演奏されるが、シンコペーションを生かしたハリソン主導の新しいリズムに置き換わっており新鮮だ。スラップも交えたレヴィンのプレイには、こういったアレンジの方が合っている。
アンコールの後「エレファント・トーク」に続く「ヴルーム」の後半で一時ハーフ・テンポになるという新アレンジがあった。同曲のエンディングである「コーダ:マリーン475」で終了。

演奏内容は非常に充実したライヴだと思った。ダブル・トリオ期に最も近いが、完成度はそれ以上。ダブル・トリオ期のツイン・ドラムのアンサンブルは、ブラッフォードが“主”でマステロットが“従”という関係だったが、今回はほぼ対等の関係に聴こえた。先天的なテクニシャンというより努力家でアイデア・マンだったブラッフォードと、彼を崇拝するマステロットもアイデアと創意工夫のミュージシャンだ。ベクトルは同じだが、先輩に対しての遠慮があるように思えた。今回のツイン・ドラムは、先輩であるマステロットが後輩のハリソンの天才的な技術を完全に受け入れて上手くミックスしているようだ。さすが、“Electronic Taps & Buttons”のマステロットだ。
※ちなみに、ビル・ブラッフォードは1949年、パット・マステロットが1955年生まれなので6つ違い。ギャヴィン・ハリソンはマステロットの8つ下で1963年生まれ。

新曲がない状態でのツアーなので、バンドとしてのアイデアやコンセプトはこれからだっただろう。ただ、リズム・セクションの充実振りに比較して、ブリューとフリップの進化が今一つ伺えないのと、なんとなくヴォーカル曲が減ったのが気になる。ノー・アイデアの状態とエイドリアン・ブリューの位置付けという伏線が、すでにあったのかも知れない。

※以下“誤報”(9月7日追記参照)
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ネットでの情報によると、その後のキング・クリムゾン最新のラインナップは
ロバート・フリップ(Robert Fripp)…ギター
ジャッコ・ジャクジク(Jakko Jakszyk)…ギター、ヴォーカル
トニー・レヴィン(Tony Levin)…ベース、チャップマン・スティック
ギャヴィン・ハリソン(Gavin Harrison)…ドラムス
メル・コリンズ(Mel Collins)…サックス、フルート
という編成らしい。一次ソースは不明。
ジャッコは、21st Century Schizoid Bandのフロントを担当。つまりフリップとグレッグ・レイクの“影武者”もこなす器用なミュージシャン。

メル・コリンズは、言わずと知れた70年代のクリムゾンやキャメル等に在籍したベテラン。ひょっとして回帰路線なのか?そういったコンセプトの方向変換があったとしたらエレクトリックなパット・マステロットがクビになったのも分かるが…。
ところが、このメンバーでの新譜が発売中止という話もある。その新作制作の為にアルバム2枚分のデモも出来上がっていたという話もあるが、真偽含め詳細は不明。また、色々と分かり次第まとめてみたいと思う。
それと情報求む。

※追記(9月7日)
ジャッコやメル・コリンズの参加という、唐突で不自然なメンバー・チェンジは、Jakszyk, Fripp & Collins名義で製作中の『A Scarcity of Miracles』というアルバムの情報と混乱していたようです。
>>http://www.elephant-talk.com/discog/fripp/indexr.html
たしかに、Tony LevinとGavin Harrisonの名前も書かれています。
恥ずかし過ぎる早トチリのようでしたm(_ _)m
※後に、『ProjeKct Seven』として活動する予定のユニットだったと判明。
 (Robert Fripp's Diary関連記事を参照)

※追記(9月8日)
『LIVE 2008(August 07,2008 Park West Chicago,Illinois)』はDGM Live!にてダウンロード可能。
>>http://www.dgmlive.com/archive.htm?artist=16&show=1301

※追記(9月9日)
ダウンロードして『August 07,2008』を聴いてみた。
分離の良い正規音源なので、レビューに見当違いな箇所があった事が分かった。
(例:「コンストラクション〜」…のスネアのフレーズをきっちり合わせている…等)
近いうちに『LIVE 2008(August 07,2008)』の記事を考えています。

■主な関連記事
 キング・クリムゾン終了(ロバート・フリップ引退)
 変態BGM:King Crimson「Form No.1」
 King Crimson:隠れた名曲「Message 22」
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有名な『街の灯(1931年)』のラスト・シーン。最近、これを大勢の人達と一緒に観る機会があった。このシーンでのヴァージニア・チェリルの演技はいつ見ても素晴らしい。自然と花売娘の表情や仕草に見入ってしまうが、その日は背中を向けた放浪者チャーリーの動きが目についた。泣いてしまうのを必死で堪えるために、視点を外して必要以上に冷静に見るしかなかった為だろう(笑)。突然気付いた。
「後ろ姿のチャップリンは、演技以外の動きをしている!」
すると、微妙な頬の動きも偶然ではないように思え、注視しているとチャーリーと花売娘の動きがリンクしている様に見えた。思わぬ発見に興奮して、家に帰ってからDVDをじっくりと見直してみた。何度も見返したが、やはり思った通りだと確信した。

※扮装したまま演技指導中のチャップリン
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チャップリンは、役者に演技を指導する時、言葉ではなく実際に自分で演じてみせると言われている。特にこの『街の灯』のヒロイン役には、全くの“素人”を承知で抜擢したようで、契約の際ヴァージニア・チェリルには、もし演技の経験があっても忘れるように忠告したという。徹底的にチャップリン流の演技をコピーさせるつもりでいたのだ。

以下、“A”はヴァージニアがメインのツー・ショット。チャーリーの持つ花は身体の手前にある。観客には“気付かれないように”演技指導している。
“B”はチャーリーのアップがメインのショット。花は口許にある。しばしば、この花の位置の“整合性”が話題になるが、チャップリンは、そういった整合性よりも“カット毎の画”の美しさを優先していたのだろう。(何だか小津安二郎みたいだな。役者に制約を与える点においても同じだ。)それに“A”のカットでは、花がチャーリーの口許にあると、娘を見せるのに“画的に”邪魔になる。
それに加えて、これは憶測になるが、口許を花で隠す事で、本番の撮影をしながら“こっそり”演技指導も出来る、というリスキーなマジシャン的発想をしたのではないだろうか。(実際このシーンの直前、薔薇の花弁を“演技”で落とす“というお得意のマジック”を披露している)

以下「本番中のチャップリン監督の演技指導」
もちろん膨大な量の撮影フィルムからの選りすぐりショットからの編集だろう。
この間、ほぼ1分間。
たった1分という短い時間に、大量の“演技のポイント”が凝縮されている。

※役としての“チャーリー”と、監督“チャップリン”を別表記した。
■A-1
 花売娘、チャーリーを自分の身体の方に引き寄せ、
 小銭をチャーリーの手の中に押し込む。
※微かにチャップリンの頬が動く
 それを追うように、娘は口を真一文字に閉じる。
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□B-1
 握られた手許とチャーリーの右手(花は見えない)が映る。
 カメラが左上に移動すると花が口許にあるのが見える。
 チャーリーの目線もカメラと同時に上に移動、娘を見つめる。
※チャーリーは微笑んでいるが
 監督チャップリンとして何か話しているようにも見える。
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■A-2
※チャップリンが花のある右手を胸元に持ってくと“同時に”
 動きを合わせるように、娘の右手は自分の頬に移動。
※チャップリンが持っている花を左下に動かすと
 それを“合図”に、娘は表情を変えて話し出す。
※この一連のカットの間、ずっとチャップリンの頬は動いている。
※クリックで拡大(他も同じく)
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●“You?”(あなたでしたのね?)

□B-2
 チャーリー、うなづきながら話す。
 カットの替り目の一瞬に、娘が右手を下ろすのが映る。
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■A-3
 カメラ、少し寄る。
 娘の右手は、まだ自分の頬にある。
※チャップリン、大きな動きで花を持った右手を左肩に移動。
 その動きを追うように、娘は右手を鎖骨の辺りへ持って行く。
※その間、チャップリンは(笑いながら)話しかけている。
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□B-3
 チャーリー、苦笑いし、花を持った右手を目許に持って行き、語りかける。

○“You can see now?”(見えるようになった?)

□B-4
 チャーリー、目許を指した右手を、また口許に戻す。
 娘、大きくうなづく。

■A-4
 娘の右手は、まだ胸元に。
※チャップリン、花を持った右手の人差し指だけ動かす。
 それを追うように、娘は右手を下し、
 話しかけながらチャーリーの左手に持って行き両手で握る。
※その間、チャップリンの頬に微かな動きが見える。
 娘、一呼吸置いて語りかける。
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●“Yes, I ca see now,”(ええ、見えますわ)
 
■A-5
 A-4と繋がったショットから、娘は「Yes」と言っているように見える。
 涙目で、さらに強く手を握って語りかける。
※娘は、その手を自分の胸元に持って行くが
 むしろ、チャップリンが“先導して”動かしているようだ。
 娘は大きく震える。
※チャップリンの頬が大きく上下に動く。“Smile!”とでも言っているのか。
 その直後、娘が微笑む。
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□B-5
 カメラアングルは、それまでより少し右に移動して、多少正面寄りのショットに。
 チャーリー大きく微笑む。
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 フェイドアウトして“THE END”

■関連記事
 チャップリン『ライムライト』の照明 その他小ネタ
 『ライムライト』での小道具操作:監督C.チャップリン
 ルビッチ『生きるべきか死ぬべきか』とチャップリン『独裁者』
 “元祖”猪木アリ、“元祖”クロスカウンター・・・
 小津安二郎とチャップリンの異色カット
 カール・ストラス(Karl F. Struss, 1886年~1981年)
 ロー・アングル ≠ ロー・ポジション

※『街の灯』を題材にした映像関連の記事(10月22日追記)
『キャニメーションの森』より
・チャップリンの映画にカット割りを学ぶ
・チャップリンの映画にカット割りを学ぶ〔2〕
・チャップリンの映画にカット割りを学ぶ〔3〕

街の灯 / チャールズ・チャップリン [DVD]

街の灯 / チャールズ・チャップリン [DVD]

撮影:ローランド(ロリー)・トザロー、ゴードン・ポロック
製作期間:1927年12月31日〜1931年1月22日
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松竹以外での小津作品の照明:前置きと『早春』という記事で「数本の戦後作品をチェックしてみたが、本当に“不自然な”照明の切り返しショットというのは、一本の作品中に“数回”程度の頻度でしか登場しない」と書いた。“数本”では正確な検証にならないので、まず戦後作品をチェックする事から始めた。

『長屋紳士録(1947年)』と『風の中の牝鶏(1948年)』には“不自然な”照明は見つからなかったが、『晩春(1949年)』では2ヶ所発見、『麦秋(1951年)』には少なくとも8ヶ所はあった。『お茶漬けの味(1952年)』はゼロ、『東京物語(1953年)』は3ヶ所ほど、『早春(1956年)』と『東京暮色(1957年)』には見当たらない。カラー時代、『彼岸花(1958年)』は6ヶ所、『お早よう(1959年)』では1ヶ所が怪しいが判断できず。『秋日和(1960年)』は微妙な照明が多く、自信はないが5〜6ヶ所か。遺作『秋刀魚の味(1962年)』では見つからなかった。松竹以外での作品については最近の記事にも書いた通り、東宝『宗方姉妹(1950年)』は7ヶ所、大映『浮草(1959年)』は、たぶん2ヶ所、東宝『小早川家の秋(1961年)』では3ヶ所ほど確認出来る。

戦後だけではどうも気になるので、戦前の作品も辿って調べてみるた。『父ありき(1942年)』では2ヶ所、『戸田家の兄妹(1941年)』3ヶ所。そして『淑女は何を忘れたか(1937年)』では5〜6ヶ所ほど見つけられる。戦前から戦後での“不思議な照明”の頻度に、意外なほど大きな変化はない。

キリがつかないが、サイレント時代はどうだったか。このあたりからの検証は少々“いい加減”になるが(笑)、『出来ごころ(1933年)』と『浮草物語(1934年)』では、それぞれ1ヶ所が微妙で判断が難しいところ。『東京の宿(1935年)』ではロケ・シーンも多いせいか見当たらず。ええい、ついでだとばかり、代表作『生れてはみたけれど(1932年)』をチェックしようとしたが、つい世界に入り込んでしまい(笑)見つけられず。同じ失敗を『長屋紳士録』でもやったが、その時は、もう一度冷静にチェックし直した。※追記参照

ひとまずの結論としては、“平面的な画”を期待し過ぎていたせいか、思ったほどは“平坦な照明”で撮られている印象はなかったという事です。
一旦、しばらくの間ですが調査中断します(+。+;)…。

※クリックで拡大(以下同)
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まだまだチェックしてない作品が多く残っているが、この“間違い探し”のような作業をしていて気付いたのが、小津独特の“イマジナリーライン越え”という禁則技は、『生れてはみたけれど(1932年)』など、かなり初期から始まっていたという事だ。つまり、字幕でしか会話が出来ないサイレント時代から、独特な切り返し手法を使っていた事になる。

このように、“三次元的に不自然・不思議な照明”は、思ったほど頻繁に登場しない一方で、自然な照明という以上に、明暗のコントラストが強く、意図的に陰影を生かしたシーンが登場する作品も意外と多い。それは、白黒の濃淡以外にも映像表現の選択肢が増えたカラー時代以降も変わらなかった。
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『早春(1956年/照明:加藤政雄)』について触れた記事では、この作品は小津映画としては例外的かも知れない、と書いたが、同じように『東京暮色(1957年/照明:青松明)』『風の中の牝鶏(1948年/照明:磯野春雄)』も明暗のコントラストが強いシーンが多く、リアルな照明の作品の代表といえる。いずれにも共通しているのが、不倫・売春・堕胎といった重いテーマが登場するという事で、そういった作品の「演出」としては当然考えられる手法だろう。

例えば『東京暮色』での、中絶手術から帰宅した里子(有馬)と、無邪気に遊ぶ(原)の子供のカットでは、連続したシーンなのに極端なくらい(あるいは不自然なほど)トーンに差がある。まるで違う世界だ。
※光が差している有馬の右手方向に子供がいる廊下がある。
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“陰影を生かした”照明の中でも、「逆光」を使ったカットが何度か登場するのも『東京暮色』の特徴の一つのように思う。顔に射す影の面積が多かったりコントラストが強いカットは多いが、自然光や移動によるものではない“演出としての逆光”、または顔の多くの部分が影になるカットは、他の監督作品と比べて少ない気がする。
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『東京暮色』『風の中の牝鶏』などのように、重いテーマの作品ばかりではなく、明るく陰影の少ないシーンが多い映画、例えば『お茶漬けの味(1952年/照明:高下逸男)』の場合、後半からは徐々に影の比重が増え、画面のコントラストも強まって行く。
また同じく、作品全体としてはそれほど暗い作品ではない『麦秋(1951年/照明:高下逸男)』にも陰影を生かしたシーンが要所要所に登場する。
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その中でも、陰影の扱いに強い意図を感じさせる一連のシーンが、謙吉(二本柳寛)が転勤を母(杉村春子)に告げる場面に登場する。
謙吉のアップと2ショットのカットを挟んで、実際に母は一歩も動いていないのに、部屋が暗くなり母に射す陰影が深くなっていく。(左→右)
※クリックで拡大(他の写真も同)
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これらは演出効果として違和感はないが、意外だったのは『東京物語(1953年/照明:高下逸男)』だ、深刻な場面や哀愁を伴うカットに限らず、ごく日常的な何気ないシーンも含め、映画全体が陰影の深いカットが多い。
※記事を書いた後で気づいて追稿したが『東京物語』『お茶漬けの味』『麦秋』
 の照明は3作品とも高下逸男。
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ただし、この『東京物語』については、オリジナルネガが現像所の火災により焼失したため、本来の映像は分らないが、現状では全体的にコントラストが不自然に強い。特に、周吉(笠智衆)が旧友と再会して酒を酌み交わす一連の場面と、妻とみ(東山千栄子)の葬儀後の食事のシーン(特に、全員でのショット)は、とても違和感がある。しかし、それを差し引いても、陰影を生かした照明が全編に渡って使われていたのは意外だった。

それにしても、いまだに、小津が“不自然な照明”を使った“理由(意図)”が謎のままだ。それは、三次元的な整合性を無視した、または、あえて整合性に反する“画”を創り上げるための“曖昧な照明”という“小津流の演出”の一つなのだろうか?
いや、もう一度『宗方姉妹(1950年)』の“整合性に反する画像”を貼ってみるが、このように“カットによってわざわざ切り替わる照明(光源の向き)”に、一体どんな意味と意図があるのだろうか…
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■関連記事
 >>小津映画の不思議なライティング(比較:成瀬巳喜男)
 >奇妙な照明によって、イマジナリーラインや視線のズレが相殺され
  不自然さを打ち消す事に一役買っているのでは?
 >イマジナリーラインのズレを意識させないような照明の当て方?

※追記(8月25日)
松竹での小津は、厚田カメラマンに照明を全面的に任せていたという原点に帰ると、『淑女は何を忘れたか(1937年)』あたりから“三次元的に不思議な照明”が登場するのは符号が合う。それまで撮影補助だった厚田雄春氏は、この作品から、正式に撮影担当になるからだ。さて、その前作であり小津のトーキー第一作『一人息子(1936年)』をチェックしなければ…

※追記(9月1日)
厚田雄春氏が撮影を担当する以前に“三次元的に不思議な照明”がなければ話が早かったのだが、どうもそんな単純な話ではないようだ。厚田氏が、この独特の照明を指示したという明確な根拠は今のところ見つからない。以下、作品毎の“不思議照明”の登場回数。

『一人息子(1936年)』4ヶ所
 撮影:杉本正次郎、照明(配光):中島利光
 撮影助手:厚田雄春

『母を恋はずや(1934年)』0ヶ所
 撮影:青木勇
 照明(配光)他のスタッフ不明
 ※他の作品と比べると絞りが浅い画面が多いように思える。

『朗かに歩め(1930年)』4ヶ所以上?
 撮影:茂原英雄、照明(配光):吉村辰巳
 撮影助手:厚田雄春 他
 ※『宗方姉妹』のように光源が反転するシーンもある

こういった感じでキリがないようにも思える。それとも撮影助手の立場でも“奇妙な照明”を指示または提案をしていたのか?

※9月22日:mixiのトッピック内で“ほぼ”結論付け。
>少なくとも、この不思議な照明については厚田氏任せではなく、
>きっと“文法にこだわらない”小津監督の指示なんだろう、と思い始めてます。
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